鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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批判していると言える箇所がある。それは,古代彫刻が神託を告げたという伝承を紹介したラファエーレ・ボルギーニの『イル・リポーゾ』に基づき,古代彫刻が異教の偶像であったという宗教的な見解から,彫刻を批判するものである(注15)。彼は彫刻に過度の執着を持つことは,偶像崇拝的だと述べる。そして彼は彫刻と絵画に見られる「欺き(巴ngano)Jを対比させている。彫刻の欺きが,超自然的な現象によって人聞を偶像崇拝に導く事であるのに対し,絵画の欺きとは,いわゆる「トロンプ・ルイユ」効果を意味し,“彫刻よりも害が少なく,より才知があり,より高貴"とされる。そして彼は第5章において,絵画によるこの効果は,彫刻には表現し得ないということを強調している。そして,彫刻家と画家が,全く同じようにキリストの楳刑像を表現したと仮定して,絵画の方が凹凸や明暗を技術で表現している分,彫刻よりもより多くの技術と知性によって制作されるのだと述べる(注16)。「人を欺く」という要素において絵画の方が彫刻よりも高貴であり,彫刻の方が聖像として有害であるとするパチェーコのこのような主張は,それ自体は論理性を欠くものである。しかしこの主張は,17世紀前半において,パチェーコの弟子であったカーノとベラスケス,また彼らと親交のあったスルパランらが,彩色木彫作品に基づいた絵画作品をしばしば描いたという状況を説明する一つの要素と成りうるであろう(例:スルパラン〈キリストの礁刑>[図5Jとモンタニエース〈クレメンシアのキリスト疎刑H図6J)。彫刻と絵画による疎刑像を比較したパチェーコの主張を考慮するなら,絵画が彫刻よりも聖像にふさわしい芸術であること,また「絵画の欺き」が彫刻のそれよりも難度の高い,高度な知性に基づくものであることを示すために,あえてそれらの絵画が彩色木彫と同じ条件で描かれたと考えることができるのではないだろうか。おわりにパラゴーネに彩色木彫の問題を取り入れたパチェーコの姿勢は,スペイン独自のものであると言える。そこにはプリニウスの権威やナポリの彩色蝋彫刻などを根拠として彫刻の彩色を正当化し,また素材の面で蔑視されがちな木彫を擁護することによって,当時美術として必ずしも高い評価を得ていなかった彩色木彫を積極的に評価する姿勢がうかがえる。実践に基づいた彼の論理は,幅広い層の人々を対象に,具体的な議論を目指すものであったと言える。しかし一方で,それは彩色木彫を絵画と彫刻に320

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