⑫ 高山樗牛と日本近代美術研究者:郡山市立美術館主任学芸員鈴木誠一はじめにこれまでの高山樗牛に関する主立つた研究は,一般に小説『滝口入道』の印象が強いこと,I歴史画論争Jが坪内遁造の戯曲に対する樗牛の批評に端を発していること,また,一大センセーショナルを巻き起こした「日本主義」の唱道者であることから,多くが文学及び思想史の研究者によって進められてきた,といってもよいだろう。美術との関わりでは,極端に言えば,I歴史画論争」と没後に日本美術院と二科会に贈られた「樗牛賞」が知られているのみといえる。しかしながら,樗牛が「歴史画論」をしきりに発表レ活躍した明治30年前後,日本画はもちろん洋画においても「歴史画」と呼ばれる,あるいはそれに類する絵画が数多く描かれているのは事実である。はたして美術史上における高山樗牛とは単なる日本主義=I反動的思想家」として片づけてよいものだろうか。そんな単純な疑問からこの研究は始まった。なお,引用文などの旧漢字は新字体に直して,旧仮名づかいのものはそのまま表記した。樗牛はその31年という短い生涯〔表1Jに膨大な量の文章を書いている。没後に友人の姉崎瑚風や笹川臨風,実弟の斎藤野の人らによって編集された『樗牛全集J(以下『全集』と表記)全7巻(注1)には,書簡,日記をのぞき長短あわせておよそ600本以上の文章が採られている。このうち「美学及美術史」と副題された第一巻所収の文章をはじめ,r全集』所収の美術に関する文章はおよそ80本,全体の約13%を占めている。それらを便宜上簡単に分類すると下記のようになる。(巴)絵画論~I歴史画題論JI日本西洋両画風の折衷」などl 樗牛の美術評論の分類(a) 美術史概論~I日本美術史未定稿」など(b) 美学論~I美学上の理想説に就いてJI美感に就いての観察」など(c) 美術館建設論~I美術参考館の必要JI一大美術館を建てよ」など(d) 文化財保護論~I古物保存の可否JI古社寺及び古美術の保存に就いて」など(f) (a)~(e)の複合及びその他-340-
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