(1) 山形県酒田市黒森歌舞伎の衣裳について享保末年までその歴史を遡るといわれる黒森歌舞伎は,土地では黒森芝居と呼ばれ,極寒の二月十五日と十七日に行なわれる雪中芝居として知られている。少なくとも文字資料として確認できる嘉永三年以降,現在まで,ほとんど毎年演じ続けられてきた。旧の正月十五日,十七日のサイノカミの行事として,長い間,集落の安泰と結束を維持する重要な行事として機能し続けている。黒森歌舞伎は,妻堂(サイドウ)連中と呼ばれる組織を中心にして運営されている。妻堂連中は黒森出身もしくは在住の男性であるということが前提で,これが黒森歌舞伎継承保存に大きく役立つている。同歌舞伎は,五十以上に及ぶ上演演目を持っている。『仮名手本忠臣蔵jr義経千本桜』などの著名な演目は言うまでもないが,r山楓太夫Jr高田の馬場十八人斬り』などのように,現在ではほとんど見ることのない特殊な演目も遣されていて,芸能史上でも貴重な存在である。現在,同歌舞伎では約四百点の衣裳を所有している。衣裳に関する資料は,実物は言うまでも無いが,嘉永三年以降の芝居の演目,年毎の収支,関係者氏名などを記述した『妻堂帳Jと呼ばれる記録にも衣裳の収集や寄附に関する記述があり,実物の衣裳だけではわからない金銭の授受や衣裳を巡る動きを知ることができる。本調査では,これら『妻堂帳』の記述も詳細に検討しながら,衣裳に関する考察を進めることができた。これまで,黒森歌舞伎の衣裳については,明治二十七年の庄内大地震によってそのほとんどが消失したと言われてきた。しかしながら,筆者の調査によれば,現在,同歌舞伎が所有する約四百点の衣裳のうち,明治二十七年以前から所有されていた衣裳が少なくとも四点存在することが確認できた。さらに,年記は明確にはできないが,その制作時期が明らかに江戸後期にまで遡ると思われる衣裳も少なからず所蔵されていることが明らかになった。黒森歌舞伎の衣裳は染織品としての特徴からみると,次の二つに分けられる。① 明らかに芝居衣裳として作られたもの。①に類する衣裳は歌舞伎独特の,大胆にデフォルメされたデザインや模様,色使い,仕掛けなどが特徴で,役によっては既に一定の約束をもつものがある。② 実生活で使用したと思われる染織品を衣裳として利用したもの。-353-
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