⑮大正期から昭和初期の関西における創作版画の展開研究者:神戸市立博物館学芸員金井紀子関西の創作版画は,しばしば京都・大阪・神戸の都市別に特色が語られる。京都の版画は名所絵と新版画の伝統が感じられ,大阪は前田藤四郎の戦後の抽象的な作品のイメージ,神戸は川西英の作品のハイカラな印象が強い。こうした地理別・風土別の分類は,作品が放っ印象から何となく納得させられるものである。しかし何故,川西を核とする神戸の版画家(北村今三や春村ただを)の大正期から昭和初期にかけての作品には,象徴主義・表現主義的な傾向がひときわ強く顕れているのだろうか(現在も調査中の木版画家だが,北村今三は1918(大正7)年に結成された日本創作版画協会へ1921年の第3回より,春村ただをは1922年の第4回より出品している。ちなみに川西英は1923年の第5回より出品)cもちろん,長谷川潔や永瀬義郎といった当時の若い版画家たちが表現主義に共鳴したことはよく知られている。だが,神戸というモダニズム文化がとりわけ花開いた都市で,全く同時代的にドイツ表現主義の雰囲気を備えた木版画が制作された背景は,やはりローカルな美術史に留まらない検討を要するテーマであると思われる。そこで本稿では,大正期の神戸に的を絞り,当地における表現主義の受容の背景を具体的に解明するため,これまでは周辺的な事柄として扱われてきた神戸の画家と音楽家の交流を明らかにするとともに,1915~22年頃の川西英(1894-1965)に焦点をあて,最近得られた調査成果の報告と併せ,神戸における創作版画の初期の発生期について考察を試みる。大正期の神戸における芸術的な活動を考える時,軽視できないのが美術や音楽を愛好したディレッタントと呼ばれる人々の存在である。代表的な人物に,赤いマントを着て市中を悶歩し,奇抜な行動で知られた名物モダニスト,今井朝路(木名は朝治1896l月)によると,今井は元町通5丁目(現・神戸市中央区)の度量衡器庖に生まれ,育英中学校を卒業後,画家を目指して上京,1912年頃から日本画家の尾竹竹坂に学んだ。しかし,次第に西洋の新傾向の絵画への関心が高まり,日本画を止めて1915(大1951)がいる。青木重雄『青春と冒険~神戸の生んだモダニストたち~.1(中外書房,1959年)と大塚銀次郎「今井朝路と川西英J(r神戸史談.1226号,神戸史談会,1970年神戸の一側面一一361
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