鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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いる。ただし,本稿での内容は上述の期間のうちとくに輸出量の多い1650~79年,な挙げるにとどまったが,その他の医療製品である「瓶J,Iひげ皿J(注11)などの器種についても輸出年代に該当する蓋然性の高い資料があるかどうか今後検討してゆきたい。(藤原)3章オランダ東インド会社日本商館文書にみる肥前磁器製医療製品本研究では,オランダ東インド会社による17世紀の肥前磁器輸出について,ハーグの国立中央文書館に原本が所蔵されるオランダ東インド会社日本商館丈書を調査してかでも医療製品に焦点をあてた。同文書はさまざまな性格の異なる書類から成り,同ーの内容が荷物が取引される段階に応じ,以下に列挙したような数種の文書に繰り返し記される。このおもなものは,長崎商館が受けた注文(注文書),出島での舶載(送状),パタヴィアへの積載船入港(パタヴィア城日誌(注12)),長崎の会計報告(仕訳帳)である。本稿ではこれらを,①送状②仕訳帳③注文書④それ以外の書翰やオランダ商館長日記(注目)⑤パタヴイア城日誌という序列をつけ,極力優位性の高い史料を使用する(①■④は文書原本,⑤は刊行物)。また,この一部はフォルカー氏により英文で発表されたが,本稿では,氏の英訳史料には再検討の余地があるものと考え,必ず原本に遡った。なお,日蘭の貿易取引は,本方荷物と脇荷物からなっているが,本稿では,貿易品の中核をなし記録が残っている本方荷物に限定して考察をすすめる。なお,原本の記載は複写機やタイプのない時代における多数の商人達の筆写であり,用語や綴りの一貫性に乏しいため,おもな器種名称,ならびに綴りが特殊な場合には原語を併記した。本章は紙両の都合上,情報を器種と物流のみに抑え,容量,価格,相包,見本などを省略した。十分な説明を加えることができず,また,読みにくい記述となったことをお詫び、申しあげたい。オランダ東インド会社による肥前磁器の輸出は1650年に,医療製品の輸出開始は1652年に開始された。山脇氏は同52年より58年までの医療製品の輸出量を仕訳帳により明らかにしたが,器種別の内訳は省かれたため,同期間の送状を調査した。医療製品輸出の最も早い記録は,1652年10月,タイワン行きコーンニグ・ファン・ポーレン号に積み込まれた1,265個の大小の薬壷medicamentpottenである(注14)。前年までの輸出数量は50年に145個,52年に176個。ゆえに,東インド会社に関わる肥前磁器最初の輸出向け大量生産器種は薬者であったとみられる。翌日年には,7月に外科治療所373

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