鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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ひげllil20個,青と赤で絵付けしたひげ冊159個,合計258個は,長崎発パタヴイア行きブイエンスケルケ号に舶載され,翌年8月にオランダに到着した(注19)。62年のクラフェルスケルケ号舶載分以降1676年までは,山脇氏により詳細が参照できる部分も含まれるので,紙面の都合上,概略を〔表2J (注20)に示すにとどめた。ただし,1677年から79年までは既出の記録に之しいので解説したい。1677年10月16日付け仕訳帳には,マラッカに向うフイス・テ・スピーク号積荷として,マラッカの外科治療所向け(注21)に4種類(各400個)の軟膏壷Sa1やotten1,600個ならびに香油小瓶olitijtv1essies 530個売却の記録がある。1678年の医療製品輸出については,送状,仕訳帳はなく,パタヴィア城日誌にも記載がない。だが,1676年6月8日付け注文書に,1678年度出荷分としてパタヴイア城の薬局medicinalewincke1 (注22)向けに容量の違う13種の軟膏壷合計24,800個,容量の違う5種の瓶合計6,100個,コップdranckcroesies合計600個の発注が記録されている。注文数と出荷数の分かる他の年代は,4 ヵ年分あり〔表2J,どの年も大枠注文どおりの輸出が記録されているので,1678年度分もこの注文書と同数の輸出が予測される。1679年は10月24日付仕訳帳に,パタヴイア行きウット・フイス・ド・メルヴ、ェ号分としてパタヴイアの薬局向けに容量の違う4種の軟膏壷合計1,500個,容量の違う5種の香油小瓶01詰t巴リtflesjens合計600個,瓶50個,鉢42個,ひげ皿50個売却の記録がある。4章俣療製品の総輸出量に占める割合ここでは上述の輸出数量をまとめた〔表2Jを軸に論究したい。ただし,1678年は予測のため下線を付した。なお,各年代の輸出総数に関しては,おもに仕訳帳,パタヴイア城日誌に基づく山脇氏の研究に基づくことをお断りしておく。発見できた史料でみる限り,肥前磁器の輸出数量がはじめて千を超えた1652年より57年まで6ヵ年の本方荷物磁器はすべて医療製品である。この後は,1658年の91%を最後に,翌年の59年にはオランダやモカをはじめとする地域へ大量の磁器が出荷されるようになり,後に万を越える数が定着すると医療製品の割合は低下し,数量には幅がみられる。1662年のオランダ向けひげ皿という例外を除き,出荷先はパタヴイアやタイワン,マラッカなど東インド会社関係医療施設に限られる。代表的な欧州向け商品である飾り査や食器のような希少価値をもった工芸品のように,医療製品が欧州市場に向けられることはなかったようである。現段階までに発見された史料からみれ375

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