鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
389/670

(8) フォルカー氏は,輸出された肥前磁器の器種説明の部分で,ガリポット,薬瓶,油瓶などの器形を同時に説明しており,図版では二重の凸帯のある瓶を図示している。氏はガリポットの器形を説明しておらず,どのような器を想定しているのか明確ではないが,ガリポットを口縁部に凸帯のついた瓶と誤解されうる暖味な解説に終わっている。同部分で,Iいくつかの製品はアルパレロ形のものであったに違いない」としながらも,該当する肥前磁器の製品例はあげられていない。Volker,前掲書1p.175 (9) r有田町猿川古窯跡第一部発掘調査概報J佐賀県教育委員会,1969年,43頁およぴ『有田町猿川古窯跡第二部発掘調査概報』佐賀県教育委員会,1971年,24頁,図版117・しかしながら,この発掘調査報告書にはこれらの製品がオランダとの交易品であることは指摘されているものの,薬査であるという表現がみあたらない。当時はこの製品が薬査である可能性が認識されていなかったものと思われる。伝世資料では,1984年の出光美術館開催の展覧会図録『陶磁の東西交流J,46頁,図158にオランダの薬壷と比較されて紹介されている。(10) ヨーロッパとりわけオランダの絵画資料においてみられる,治療を主題とした絵画には,しばしばこうした円筒形の器が描かれていることを指摘しておきたい。(11) 大橋康二「輸出した伊万里の医療品(2)Jr目の眼.1No.285 p.103 この中で氏は,輸出記録にみられる1660年代のひげ皿が,肥前磁器に多くみられる半円状の切り欠きと二孔をもっ器のものではない可能性があることを指摘している。(12) Col巴nbrander,H. T. ,“Dagh-Register gehouden in 't Casteel Batavia van 't passerende daer ter als over geheel Nederlands-lndie" , 31 vols., The Hague, 1887-1931 同「送状JFacturaはオランダ船の舶載品を,貨物を船積みして送付する際に荷受人に宛て作成した積荷明細。「仕訳帳JNegotie Joumaalは一定期間に生じた取引を発生順に月日を追い,仕訳の法則にしたがってそれぞれの勘定科目で「借方JI貸方」に仕訳記帳される帳簿。「オランダ商館長日記」は在日オランダ商館長によって記された公務日誌。本稿では文書①■④を扱う際,東京大学史料編纂所所蔵のマイクロフィルムによる複製を利用した。日本商館文書はルーシンク氏の目録で付与されたNFJ番号で管理されている。(Roessingh,M. P. H.“Het Archief van de Ned-erlandse Factorij in Japan 1609-1860",‘s-Gravenhage, 1964.)工芸品の日蘭貿易史料については,石田千尋「近世輸出漆器研究序説オランダ史料の紹介と活用」

元のページ  ../index.html#389

このブックを見る