鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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③ 口パート・ラウシ工ンバーグの神話的世界一一1950年代の作品を中心に一一研究者:大阪大学大学院文学研究科博士後期課程池上裕子ロパート・ラウシェンパーグは第二次世界大戦後のアメリカ美術において,ジヤスパー・ジョーンズやサイ・トゥオンブリ一等と共に,抽象表現主義からポップ・アート,ミニマリズムへの移行の橋渡しをした芸術家として知られる。本稿はそのアメリカ美術の過渡期であった1950年代半ばから後半にかけて彼が制作した一連の絵画型,及び直立型コンパイン作品におけるギリシャ神話への言及の意義を検証する(注1)。その作例は数多く,例えば1954年頃の制作とされる〈無題>c図1Jにはナルキッソスの,1959年の〈灰色の羽のある絵画>c図6Jにはイカロスの,同年の〈キャニオン〉〔図7]にはガニュメデスの神話への言及がそれぞれ観察できる(注2)。中でも〈無題〉は最初の直立型コンパインとして,そして連作中最も自伝的な作品として,様々な研究者の考察の対象となってきた。今回の調査ではこの「最初の直立型コンパインJという従来の位置づけの再考を促す発見があった。というのは,作品の右上部に配されたパラシュートと兵士の写真がの発見により,コンパイン最初期の作例である〈無題〉を50年代後半の作品と直結して考えることができるようになった。パラシュートが代表するような,人間の飛行,若しくは重力への挑戦という主題こそ,神話への関心と共に50年代半ばから後半にかけてラウシェンパーグが最も心惹かれ,<灰色の羽のある絵画〉や〈キャニオン〉でも取り扱ったものだからである。結果一連のコンパイン作品を年代順に進展していくシリーズではなく,同時進行的に発展し,相互に参照し合うシステムとして理解することができるようになった。また,抽象表現主義の画家達も行っていたギリシャ神話の参照が,ラウシェンパーグにおいてはギリシャ神話そのものというよりもパクス・アメリカーナ,つまりアメリカの支配による平和と繁栄という現代の「神話Jへの関心に基づくものであったことも浮かび上がってきた。アメリカの大衆文化のイメージを用いてギリシャ神話に言及するというラウシェンパーグ独特の手法は,その対ヨーロツパ意識,並びに政治意識においても彼の先達とは性質が異なるようだ。ロラン・バルトは寄しくもラウンシェンパーグのコンパインの多くと時を同じくして『神話作用』を執筆,1957年に出版1958年5月5日号の『ライフJ誌から取られていることが確認できたからである。こ30

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