鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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同Chirurgijnswinckelの訳語。山脇訳は「パタヴイア政庁所属の病院Chirurgijns(W日本の美術.1No.426 至文堂,2001年11月,85~98頁)を参照した。(14) 医療用製品に関する注は,(表1)を参照のこと。winckel op BataviaJだが(山脇,p.344),17世紀のパタヴイアにはhospitaalやzieken huisといった病床のある病院もあるのでこれと区別するため,本稿では,Chirurgijns winckelに治療室としての機能を想定し「外科治療所」とした。17世紀ネーデルラントの“Demedische winkel"や“Debarbier-chirurgijn"と題する銅版画には患者が治療を受ける室内が表されており,chirurgijnのwinckelは外科の治療所のようなものでないかと思う。DeMaar,“Vijf eeuwen tandheelkunde in de Nederlandse en Vlaamse kunst", Nieuwegein, 1993, P.110, 132を参照。(16) この見本は同年7月にパタヴイアから日本へ送られた。「瓶を作るための原型3個。パタヴィアの外科治療所の注文によりこれと同じ方法で、各600個ず、つ作ること。J(Factura, NFJ 818) 間山脇氏は仕訳帳に基づきこれを盟becken31個と記載した(山脇p.305)が,送状は,初めにひげ皿sche巴rbeckensと記し,以下,種別個数,合計金額の欄はscheerを省きbeck巴nsのみが記されている。ゆえに仕訳帳はこのb巴ckensがそのまま転記されたのだろう。従って正しくはひげ皿である。(18) Colenbrander,前掲書12anno 1661, p.475 (19) フイアレ前掲書3,p. 186-188, 199, 200 凶同62,63, 65年の送り先「一般製剤薬局generaleapotheeqJの訳語は,山脇訳には「政庁薬局J(山脇p.318)とある。本稿では“DeAmsterdamse Apotheek"と画中に記された1682年のオランダの銅版画に,薬査や瓶が並ぶ庖内で薬を売る薬屋の傍らで薬を煎じる人物が表されているため,Apotheekは薬を製造販売する「製剤薬局jとしたoKoning, D. A. W.“De oude apotheek" , Bussum, 1966, p.afb.45 ω 仕訳帳は「マラッカ向け」としか記載がないが,これに関するマラッカからの注文書(12.06.1677,NFJ 308)に「外科治療所用ChirurgijnswinckelJとあるためそれに準じた。伺医療製品の送り先には3種類の名称があるが,“medicinalewinckel"は1630年代にはすでにパタヴィアに存在しており,その責任者を外科医の最高位の者が務め,医者が用いる薬や医療用品を供給していた。(DeHa叩,Dr. J. F. ,“Oud Batm叩",一←381-

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