鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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00 ⑨ 白薩摩茶碗の編年に関する一考察一一17世紀を中心に一一2 :先行研究研究者:根津美術館学芸部嘱託研究員松村真希子1はじめに薩摩焼の中に「白薩摩」と呼ばれる,白いやきものがある。これは,文禄慶長の役の際,薩摩藩主17代島津義弘(1535-1619)が朝鮮陶工を伴い,鹿児島に凱旋した時に,陶工たちが持参した朝鮮の白土を用いて,焼成したという伝承をもつやきものである。「火計手J(ひばかりで)の名称、を持つこの白いやきものは,初期の「白薩摩茶碗」である(注1)。本論ではこの「白薩摩茶碗」をとりあげて,編年することを目的とした。現在伝世が確認された,I白薩摩茶碗J20点のうち代表的な形姿を持つ茶碗6点をとりあげ,その作品の特徴を挙げる。次に鹿児島県の古窯の発掘調査の出土遺物を検討し,伝世品との共通点を求めた。さらに消費地の発掘調査出土遺物などを加えた。これによって「火計手Jと呼ばれる「白薩摩茶碗」は,17世紀初頭の朝鮮人陶工が朝鮮から携えてきた陶土によって作ったとされる時代より,半世紀下がった17世紀中葉以降に製作された茶碗であることが明らかになった。さらに薩摩焼研究の視点を広げて九州陶器の歴史の中に位置づけてみたいと考えている。「白薩摩茶碗JI火計手jに関して,これまでどのような見解が示されていたかまとめてみたい。薩摩焼の陶磁器の系譜は,前田幾千代氏によって初めてまとめられ(注2) ,そこでは初期の白薩摩焼を「太白焼・白高麗」と呼ぴ,後に鹿児島で発見された白土を使ったやきものとは明らかに異なると述べている(注3)。昭和9年に薩摩焼の窯祉32個所を調査した小山冨士夫氏と田津金吾氏は,r薩摩焼の研究』の中で,帖佐宇都窯,元屋敷窯,堂平窯,竪野冷水窯から採集した白薩摩茶碗の陶片を掲載している。特に,帖佐宇都窯の採集陶片に,Iく」の字形の目跡もつ,白薩摩茶碗「蓮葉文茶碗J(図6Jと一致するものがあると指摘し,それが帖佐宇都窯で朝鮮の陶土を用いてやかれた茶碗であるとした(注4)。ついで佐藤進三氏が昭和17年に,御里窯を調査し,I朝鮮白手」の茶入と白土を採集し,御里窯で白薩摩焼が焼成されたとした(注5)。

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