胎土目痕の残るものが若干見られ,胎土目の数は,4または5個が多い。割高台や竹の節高台の碗はここに含む。(報告書実測図31.33. 34. 35. 39) [図12J。る。高台内が平らで,彫りが見られず,目跡もない。高台脇の裾に染付で印が書かれた陶片が見られる(注19)(報告書実測図7.24.) [図13J。第皿分類は,器壁が薄い作りの小碗で高台径が4センチ前後のものが挙げられる。前記のヤッチノガマ出土の白薩摩茶碗はこの典型作で,高台内は平らで,目跡はない。染付で「千鳥印jが書かれたものがみられる(注20)[図11J。胎土は,1 II皿分類ともに白色陶土だが,胎土の違いでは分類できなかった。粕掛けは,IIIIII分類ともに透明紬が総体に掛けられ,畳付まで軸が掛けられているものが多かった。堂平窯:堂平窯は,他の4窯と距離的に離れた,苗代川窯系の地域(鹿児島県東市来郡)にあり,平成10年に発掘調査が行われ(注21),白色陶器の陶片数十点が出土した。高台を含む茶碗の陶片〔図14Jは,胎土がざっくりした荒い白色陶土で,口縁部から褐紬が少量流し掛けられている。器形は腰に丸みのある杉なり形で,高台内に渦巻き状の浅い彫りが見られる。見込みに楕円形の3つの目跡がある。施柚は,透明紬が高台内まで掛けられている。竪野冷水窯の出土陶片と似ているために重要な資料として注目される。窯の稼働期は伝承によれば17世紀中葉である(注22)。山元窯:山元窯は,御里窯から1キロほどの場所にある,開窯の時期が文献資料によって17世紀中葉と推察できる窯である(注23)。平成4年に発掘調査され,褐柚が掛かった黒薩摩焼の碗・皿が数多く焼かれていた。茶碗の陶片は,胎土は灰白色のきめの細かい土で,口径14-8センチ前後,器壁もかなり薄く,大ぶりの碗の高台内には渦巻き状の浅い彫りが見られる。目跡が付くものは大碗に限られ,細かい砂目の胎土目(練砂目)である(注24)。施紬は褐紬の総紬掛け(注25)0[図15J竪野冷水窯の白薩摩茶碗の出土陶片と類似点が多く,窯の稼働期が重なると考えられる。以上,伝世品と薩摩焼古窯6ケ所の出土陶片を調査した結果,白薩摩茶碗の特徴は以下の四点といえる。第E分類は,器壁が厚い大型および中型の碗で,高台径が5センチ前後のものであ-393-
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