②作りは,大碗・中碗の高台内に渦巻き状の浅い彫りがみられる。この彫りは,厚手の重量のある茶碗の特償である。中碗・小碗の高台内は平らな茶碗が多くなる。また高台作りの削りにきっちりした角度をつけることも特徴となっている。③ 柚薬は,高台内まで柚薬が掛かる,I総柚」と呼ばれる掛け方である。高台の畳付きまで、掛かっていることが多く,目跡(置跡)の付着部分だけはがれている場合もみられる。「総柑Jの技法は近世末まで踏襲される。例外的に土見せの茶碗もあるが少ない。上軸が透明柏のために,胎土の白色がそのまま表面に見え,全体にこまかな貫入が見られる。④ 装飾は,無文様の透明柚の柚掛けが中心である。紬薬の二種類以上の重ね掛けは稀である(注26)。白薩摩茶碗に絵付文様,陽刻,印刻,象恢のような装飾をしたものは少ない。聴轄日を残し,粕の濃淡を表現する方法は見られる。茶会記は16世紀から17世紀にかけて陶磁史研究にとって,大変貴重な記録である。茶会記のひとつ『宗湛日記j(注27)の慶長10年(1605)5月25日に「肩衝薩摩焼jが初見され,薩摩焼の茶入が17世紀初頭から制作されていたことは明らかである。しかし薩摩焼の茶碗が初見されるのは,18世紀以降の『塊記』享保9年(1724)12月18日「薩摩ノ留守居ノ手焼」であるが,白薩摩茶碗かどうかは不明である。また『島津文書』には,茶入の記載は慶長9年(1604)より書簡に見られるが,茶碗の初見は慶長19年また鹿児島県の窯に関する歴史資料は,書かれた時期が記録と一致する最も古い資料に,17世紀後半の『加治木古今雑撰j(注29)がある。その中では陶工達の動きについては書かれているが,白薩摩茶碗の記述はみられない(注30)。以上のことから文献資料には,白薩摩茶碗の記録を探すことはできなかった。このため白薩摩茶碗を「火計手」とし,初期の製品とする伝承は,近代になって作られたと考えられる。① 胎土が白色陶土であること。細かいがざらつきのある土味である。(1615)である(注28)。5 :結び17世紀前半に開窯された帖佐宇都窯,御里窯,元屋敷窯の出土陶片にみる茶碗の高4 :文献資料394
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