鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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が考えられるだろうか。「降誕jと「マギの礼拝」では図像表現上どのような違いがあるだろうか。最も大きな相違点は,登場人物の数である。「降誕」では通常「聖家族J,すなわち聖母子及びヨセフが描かれる。その他に,産婆,羊飼いなどが挙げられるが,これらの人物は,描かれないこともある。これに対し,Iマギの礼拝Jでは,三人のマギが登場し,時には大勢の従者を連れ,大行列で参拝する姿が表現されることもある。〈ブラデリン祭壇画〉の中央パネル,I降誕」では,聖家族と天使の他には,寄進者が単独で登場する。通常寄進者を聖人と同じ画面内に措き込む場合,一段下がった場所や,とりなし役の守護聖人と共に描かれるか(注6),あるいは単独であっても,聖者と寄進者の聞には,明白な境界線が引かれていたり,寄進者が聖人よりも小さく描かれる(注7)。〈ブラデリン祭壇画〉では,寄進者は,マリアやヨセフと同じ大きさで,聖人がとりなすことなく表現されている。時に「マギの礼拝jでは,肖像画を登場人物として描かせる(注射場合もあったが,寄進者を単独で描きこむのは,当時の宗教画においてはきわめて干希であるといえる。その日住ーの例外とも言える作品がヤン・ファン・エイクの〈宰相ロランの聖母〉(パリ,ルーヴル美術館,c図3J)である。この作品で特に注目されるのは,注文主のニコラ・ロランが,聖母と同じ大きさであるにもかかわらず,聖人に執りなされることなく,単独で、同一空間内に描かれているという点にあるだろう(注9)。ニコラ・ロラン(1376-1462)は,オータンで生まれ,オータンで没した(注10)。若い頃法律を学び,1400年代の初頭には,既にブルゴーニュのジャン無怖公に仕えていた。プルゴーニュ公がジ、ヤンの息子フィリップ(善良公)に代わっても,ロランは引き続きブルゴーニュに仕え,1422年には宰相の座に着く。以後,1457年に宮廷を離れ,オータンに戻るまで,ブルゴーニュ公の宮廷で,最も強い権限を持つ人物として君臨した。一方では,敬慶なキリスト教徒の一面を持っていた。ロランが,貧しい人々のための施療院(オテル・デュー)をボーヌに建設したことは,周知の通りである。寄進者を聖人よりも低い位置で描くのは,聖人及び聖なる場所に対する,長敬の念の現れであると考えられる。つまり,自らがへりくだることによって,聖者に対する尊敬を表すのである。しかしながら,<宰相ロランの聖母〉においては,ロランは聖母と同じ大きさで,並列に描かれている。これは,ロランが,自らがそのような形で描-406-

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