ト教への篤い信仰という,三つの共通点がある。つまり,I聖人と,同一空間内で,なおかつ同じ大きさで自分自身を描かせる」という,ある意味では非常に不遜な意味合いを持つ作品を作らせることがブラデリンには出来たのではないか。ブラデリンが自らのために,(宰相ロランの聖母〉のような作品を注文しようと考えたとき,その作者であるヤン・ファン・エイクは,既に鬼籍の人となっていた。その後,ブルゴーニュの宮廷画家は,空席のままであった。そのため,ブラデリンが,ブリユツセルの画家であった,ロヒール・ファン・デル・ウェイデンに,作品を依頼したのは当然のことであろう。さらにロヒールは,(ブラデリン祭壇画〉とほぼ同時期に,ロランからボーヌの〈最後の審判〉の制作を依頼されている(注20)。当時,(宰相ロランの聖母〉を意識した作品を作るのに,ロヒールは実力・知名度共に,最も適した画家であったことは容易に想像できる。ロヒール自身も,当代きつての大画家である,ヤンを強く意識していた。〈聖母子を描く聖ルカ〉において,(宰相ロランの聖母〉がロヒールに与えた影響は,明白である。寄進者が「聖なる人物と向き合う」作品は,ナラテイブな表現を得意とするロヒールによって,I聖なる場面に立ち会う」作品へと姿を変えた。ロヒールは,ネーデルラントの画家がしばしばそうしてきたように,様々なモチーフを組合わせ,画面全体を構成した。その一つが,I降誕とそれを東西両世界に告知する」ことであり,Iテーマを『人間の救済の鑑』から抜き出す」ことであった。しかしながら,ブラデリンは中央パネルを「マギ、の礼拝jではなく,I降誕jとして描かせた。「降誕」には,聖母子及びヨセフという,いわゆる「聖家族」のみが画面上に登場するが,Iマギ、の礼拝」では,I聖なる人物」以外の人物群,すなわち三人のマギや,その従者なども,一緒に描かれることになる。それではブラデリンの,I守護聖人にとりなされることなく,聖なる人物と同一空間に描かれる」という目的が達成されない。〈ブラデリン祭壇画〉の中央パネルは,注文主の意向により,Iマギの礼拝jから「降誕jに変更された。そのため,本来あるべき図像を暗示する,Iベツレヘムの井戸」を示す,二つ目の「穴jが描き込まれたのである。主要参考文献(=RWC) -DE VOS, Dirk, Rogier van der Weyden. The Complete Works, New York, 1999. 409
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