鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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スタイル)も同様であった。17世紀後期に景徳鎮窯磁器の供給が途絶えたことによって,オランダ東インド会社が次の磁器供給地として選んだ窯業地こそ,ちょうど磁器焼成が軌道に乗ったばかりの有田であり,やがてヨーロッパ趣味に適合した柿右衛門様式という色絵のスタイルを確立していく。柿右衛門様式の典型とされる作品群の制作年代が,1670年代から1690年代にかけての30年間ほどに集中している理由である。オランダ東インド会社は,中国においてはすでに1659年には文様を指定した注文を行っており,18世紀にはヨーロッパから器形や文様の細かい指定のある注文が増加し,景徳鎮窯製磁器による洋食器が作られるようになった。オーダーのあり方は有田に対しても同様であったから,柿右衛門様式が有田で自発的に始まったというよりも,オランダ東インド会社側からも何らかの働きかけがあったことが推測される。中国での内乱が平定された17世紀末からは,景徳鎮窯の五彩磁器(familerose)がヨーロッパに普及するようになるが,かつての染付に替わってすでに人気を博していた有田色絵磁器を意識して景徳鎮窯の制作が変容したといえる。政治の状況によって,輸出磁器の供給地が景徳鎮から有田へ移りそしてまた景徳鎮窯が磁器生産の主力を担うようになるのである。器としての柿右衛門様式皿,鉢,壷,瓶など容器の機能を持つ柿右衛門様式の作品の一例として,勤務館所蔵の「重要文化財色絵花井丈輪花鉢(柿右衛門様式)Jを取りあげる。本作は,ヨーロッパでの所蔵が明白であり,本作とほぼ瓜二つといってよい作例が長崎市出島オランダ商館跡から発見され,またマイセン窯によるほとんど完全な模倣作も見られる。江戸時代に唐船あるいはオランダ船によって舶載された磁器が,各方面とくにヨーロツパの工芸に大きな影響を及ぼしたことは知られているが,本作の存在は輸出磁器のさまざまな要素を示す,極めて稀有なケースといえる。1999年(平成11)4月,勤務館の広島県立美術館は「重要文化財色絵花井文輪花鉢(柿右衛門様式)JC図1](注4)の寄贈を受けた。口径24.5,高台径10.3,高さ11.5 センチ。五弁の輪花形で器胎は薄く,あらかじめ聴瞳で成型した後に土型で輪花型に整えている。粘土を素焼きして作られた土型は,江戸時代中期から明治末頃まで使用された(注5) 01999年に佐賀県立九州陶磁文化館によって酒井田柿右衛門家所蔵の土型の調査が431

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