鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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行われ,器を中心とした842点のうち840点の士型の写真と実測図を掲載した報告書(注きなかった。なお,これらの土型は酒井田家所蔵という意味なので,土型=柿右衛門様式とはいえないことに留意したい。輪花鉢に施された色絵には,紅・青・緑・黄・紫・黒が用いられ,紅と黒による線描が見られる。見込みには太湖石のような岩もしくは士坂から伸びる五弁花と五弁葉のある枝が描かれ,側面には菊花の枝が配置されている。口縁は鏡紬が施されて,輪花型の柔らかな曲線を際だたせ,引き締めている(注7)。高台内には,I口N: 3 Jという刻銘があり,これはザクセン選帝侯アウグスト強王のコレクシヨン,つまりドイツのドレスデン宮殿の旧蔵品であることを示すものである(注8)0 I口」は日本磁器を示す記号で,IN: 3 Jは番号である。本作以外にも同様の刻銘を持つ作例が数点確認されている。また,制作年代は1670-90年代と考えられている(注9)。これらの磁器への憧憶がヨーロッパで、の磁器開発を促進することとなった。さて,囲内での伝世・発掘例が非常に少ないことなどから,柿右衛門様式の作品が主として海外向けに制作されたと考えられている。囲内では大名屋敷,武家屋敷,城跡などから発見されているが,オランダ東インド会社との窓口であった長崎・出島からも柿右衛門様式の磁器が出土している。さて,重文輪花鉢と瓜二つの資料の発掘については次のようである。平成8・9年度に長崎市教育委員会によって長崎市出島西側一帯の発掘調査(注10)が行われ,問題の資料は平成8年度(1996)に発見された。発掘報告書によると,接合した破片は,口径24.1,底径10.3,高さ11.2の鉢となり,内側と外側の絵付が五分の一回転ずれている点をのぞいては,大きさ,残存する文様ともに重文輪花鉢ときわめて近似している〔図2J。出土場所は出島西側の一号土坑で,一番蔵・二番蔵から中島川寄りの場所になり,火事の整理坑および廃棄坑と考えられている。一号土坑は17世紀後半が中心で,染付の芙蓉手皿などと共に発掘された。何らかの事情で破損したために船への積み込み以前に廃棄されたのだろうか。この他,二号土坑でも柿右衛門様式の破片が出土している。輸出された柿右衛門様式の作品は主にヨーロッパ方面へもたらされた。中国や日本の磁器がヨーロッパにおける磁器製造を促進したことはすでに知られている。また,6 )が刊行されているが,残念ながら,本作に合致するような土型を見出すことはで-432-

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