像Jという様相を呈する。構成されており,古い家族のアルバムとでも言えそうな郷愁的な雰囲気を醸し出している。そして彼の妹の美人コンテストの記事を始め,平面右上には彼の両親の結婚25周年を伝える新聞記事の切り抜きが,そして最も印象的なことには,水面に姿を映す雄鳥の横にラウシェンパーグ自身の遺伝子の「反映」である彼の息子,クリストファーの写真が添えられている。こうした要素に着目した場合,<無題〉は一種の「家族の肖しかし,I家族の肖像Jと言うにはその構成員はあまりにまとまりを欠いていることも確かだ、。作品中に散り散りに配された彼の家族は一つの単体として集まることはなく,ラウシェンパーグは「家族の粋」という象徴的な表現を丈字通り切断しているかのようである。もし〈無題〉の主題の一つに「家族Jがあるとするなら,それはむしろ「家族の不和」という悲観的なものなのかもしれない。この疑念を裏付けるかのように,<無題〉には息子の写真とともに彼が拙い文字で書いた父親への手紙が添えられている。「親愛なるボブ,まだ僕のことを好きでいてくれるといいと思います。僕はあなたが大好きだから。たくさんの愛を込めて」。この手紙の背景にはラウシェンパーグの離婚による息子との別離があり,この文脈において,ギリシャ神話と同性愛の結びつきは無視できないものとなる(注13)。その代表例とも目されるナルキッソスに擬せられた白いスーツ姿の男を,父親としての役割を放棄し,自己の芸術と同性愛的傾向を選択したラウシェンパーグ自身の屈折した自画像と見なすこともできるからだ。この角度からコンパインを考えると,<無題〉中の女性同士が口づけを交わしている写真や,<キャニオン〉のガニュメデス神話など,同性愛的合意を示唆する要素が急速に浮上してくる。しかし,こうした伝記的,性的な読解の可能性を示唆することでその読みを固定化させることは筆者の意図ではない(注14)。今まで検証してきたように,コンパインにおけるイメージはその多義性と相互参照の開放性に特徴があり,並置によって生まれる一つの読解の可能性は他のイメージと結びつくことで常に別の読解の可能性に取って代わられる。そのプロセスの繰り返しにより「意味jそのものが宙づりにされるところにコンパインのポストモダン的特質があるのだ。この「意味」の安定性への懐疑的な姿勢が,抽象表現主義の画家達によるギリシャ神話の借用とラウシェンパーグのそれとの決定的な違いであろう。彼らがギリシャ神話の悲劇性や永遠性に惹かれて抽象画につけた神話的なタイトルは,ヨーロッパ美術36 -
元のページ ../index.html#45