が盛んに制作された。13世紀の「公家列影図巻J(京都国立博物館蔵)では,上下の険を描きわける手法や小鼻のふくらみなどに「紫式部日記絵巻」に共通する顔貌表現がみとめられる。また13世紀半ばの制作とされる「随身庭騎絵巻J(大倉集古館蔵)は当時のスター的存在でもあった随身たちの似絵であるが,この種の作品が「紫式部日記絵巻jの蜂須賀家本第二段の随身たちの自然主義的な顔貌表現に何らかの影響を与えた可能性もあるのではないだろうか。「紫式部日記絵巻」においては,過去とはいえ実在の人物をモチーフとすることと似絵の流行というこつの要素が重なりあい,引目鈎鼻表現の伝統からの部分的な逸脱を誘った。かたくななまでにヲ旧鈎鼻に固執する「久保惣本伊勢物語絵巻Jのような作品と比較すると,そうした新しい要素を許容する姿勢を「紫式部日記絵巻」が本来もっていたことも逸脱となったと思われる。さらに絵巻における三次元空間表現への興味の高まりという当時の絵画動向が存在したことも見逃せない。その背景としては水墨という新技法の刺激があった。墨の濃淡により陰影を描きだし三次元空間の奥行きを表現するこの新来の技法の影響は,1一遍聖絵J(清浄光寺・歓喜光寺分蔵)のような説話系絵巻のみならず「隆房卿艶詞絵巻J(国立歴史民俗博物館蔵)のような白描やまと絵にまで認められる(注14)0 I紫式部日記絵巻」においては直接的な水墨技法の摂取は認められない。が,戸外での情景〔図5・図6Jにみられるように,土坂を近景から遠景へと吹抜屋台を周りこむように重ねて横長画面に奥行きを仮構し,同時に空間の整合性にも配慮する姿勢には,画家の三次元空間の表現への強い意欲が認められる。同様の空間表現は13世紀後半の制作とされる「住吉物語絵巻J(東京国立博物館蔵)にも指摘できる。この絵巻についてはー景多場面という画面構成や水墨画風の技法の混在など従来の物語絵巻の形式からの逸脱が指摘されている。「紫式部日記絵巻」は「住吉物語絵巻Jにみられるような水墨画風の筆致こそないものの,他ジャンルの絵画からの刺激を受けて物語絵巻の伝統的表現の枠組みを離れ,より「現実味」のある三次元空間の表現を模索している点においては「住吉物語絵巻Jと共通する姿勢を有していると思われる。以上の考察により「紫式部日記絵巻」のもつ新しい表現への意欲と柔軟な姿勢が再確認された。と同時にそこには,っくり絵技法による物語絵巻というジャンルがもっ本来の枠組みが質的変容をとげていることがうかがえる。「紫式部日記絵巻jにおいて-444-
元のページ ../index.html#453