鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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含む4巻(うち調書23段,絵24段)が現存するが,原形は50~60段からなる全10注は「現実味」のある表現への執着が絵巻全体に通底しており,そのことが背景となる吹抜屋台や自然景が自立的に画面空間を支えうる整合性をもつことをうながしている。他方,人物像は複雑な多義性を失い,限定された一瞬の感情を呈示する,もしくはストーリー展開との対応を示す標識として機能することも多くなってきている。これらの変化の結果,I紫式部日記絵巻」においては,女絵が内在していた歌絵的な性質,叙情性が後退し,説明的な要素の強い場面が多く描かれるようになっている。このことはテキストを再構成して鑑賞者に語るという「絵の物語る機能」の衰退と,っくり絵物語絵巻というジャンルにおける形式と内容との必然的な結びつきの弱体化を示すものであり,っくり絵物語絵巻が絵巻のージャンルとしての独自性を希薄にしてゆく過程における一つの現象としてとらえることができるであろう。(1) I紫式部日記絵巻jは(五島美術館・蜂須賀家・藤田美術館など諸家分蔵)錯簡を巻程度の構成だったと推測されている。(2) 村重寧Ir紫式部日記絵詞』の構成と画風の特質Jr日本絵巻大成第9巻』中央公論杜,1987年(3) 物語絵画において,絵は物語を再構成して鑑賞者に呈示するのであり,物語(いわゆるテキスト)が語る物語と絵が語る物語とは必ずしも一致しないと筆者は考える。(4) 秋山光和氏によれば12世紀前半には斜投影法的な水平構図が絵巻の基本で、あったが,12世紀後半から等軸側投影法的な構図が多用され,13世紀にはそれが基本構図になってゆくという。秋山光和『王朝絵画の誕生』中央公論社,1968年,121頁。しかし村重氏は12世紀の物語絵巻においても斜投影法的構図は存続し,画幅の短い画面には大胆なトリミングが可能な等軸側投影法的構図,長い画面には安定感のある斜投影法的構図が使いわけられていたと指摘する。(注2)村重前掲論文。が,I紫式部日記絵巻Jにおいては,画幅の長い画面においても等軸側投影法的構図が多用されており,安定性よりも幾何学的な面白さを重んじる画家の志向が認められる。(5) 秋山光和「絵巻物Jr原色日本の美術第8巻j小学館,1968年,170頁の表による。445

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