⑮ 台湾近代美術教育史研究一一台湾近代教育の形成一一研究者:九州産業大学芸術研究科博士課程本研究は,日本植民地時代の台湾の教育政策と「新美術jの萌芽との関係を文献資料に基づいて考察し,植民地時代における美術活動の歴史的価値及び台湾現代文明との関連を解明するための研究である。かつての日本帝国に属する台湾総督府は,台湾統治上民心を安定させるため,及び人民の信頼を獲得するために,清朝の伝統教育に基づいて,新たな教育政策を植民地統治行政政策の一環としておこなった。当時の台湾の教育は漢学を主とする古い科挙制度であり,芸術活動とりわけ美術の面では,伝統の墨守,古人の粉本を模写するのが主流となっており,外国の芸術やヨーロッパの絵画に関する知識に触れる機会は極めて少なかった。台湾の近代美術の発展を考える場合,1927年に台湾教育会が主催した『台湾美術展覧会.1(略称:台展)が重要な契機となっている。この官設美術展は,植民地後半期に入る1927年に始まり,1936年まで毎年l回,計10回聞かれた。1937年は日中戦争が起きたために中止された。1938年に台湾総督府文教局主催の「府展Jと改称され,1943年,太平洋戦争の激化によって中止されるまで計6回聞かれた。合わせて16回(l927~43)に渡って聞かれた。この官設美術展によって,台湾の新美術の萌芽が促され,発展の基盤も築かれたのである。それでは,1927年以前の美術教育或は民間美術活動はどのような状態だったのか,そしてなぜ、官設の美術展が生まれたのかという理由,あるいはまた,そこから生み出された内容とその意義については,当時の統治政策,教育制度,社会的,文化的状況から見ていくべきである。それは現代の台湾文明の成果をどのように評価するかに関わってくる。20世紀の初め,台湾の近代化の過程と日本植民地時代の統治政策とは密接な関係があると考えられる。今日の台湾には,数えきれないほど多くの日本文化が台湾文化の一部となって残り,台湾社会に定着して日常的に使用されている(注1)。このように台湾文化の中に残る日本文化があることは,初期の植民地教育政策がその後の台湾の近代化に大きく寄与してきたことの証左として論じられている。同化政策としての教育が台湾の近代化の達成に貢献したものという評価が,1植民地統治イコール近代化」という植民地支配肯定論の倒錯的な理解に結び付けられたと考えられる。確かに台湾の教育は植民地支配下に顕著な発展を遂げた。19世紀,西欧列強による植民地支配では植民地教育の実施呉永才-450-
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