1-1,行政上の必要植民地統治をより円滑に行い,経済面,政治面における支配者の特権を維持し,現地住民を使役するためには,被支配者との意志伝達が要求される。そのために,植民地教育の必要性が生じてくる。しかし,学校教育の全面的な普及は必ずしも必要で、はなかった。その理由は,単に統治を円滑に遂行させるためであるならば,一部の被支配者を行政機構の一員として育成し登用すれば解決もできょうし,また少数の支配者が現地住民の言語を習得すればよいからである。19世紀以後のイギリスの植民地統治方針がその典型的な例であり,しかも投入した費用当たりの効果の割合のよい統治形態としてそれなりの成果を上げていた。日本の場合,台湾領有初期,予算の大部分は武装抵抗の鎮圧,治安維持及び、社会資本の整備につぎ込まざるを得なく,さらに,来台した日本人官吏のモラルの低さ,地方行政機構の未確立などの要因も重なって税収の基本である地租改正に着手が進まず,国庫補助に頼らなければならなかった。台湾経営の不振によって松方正義内閣は内地の増税を試みたが,失政して総辞職する。台湾領有は当時の日本にとって「賛沢」なことであるという理由で,フランスにl億円で売却するか,または清国へ売り返すという主張が堂々と国会で議論されたほどであった(注7)。こうした状況の下で多数の現地住民に少数の支配者の国語をもって教育を受けることを強要し,文化,精神面の帰属を図る「同化J政策は,当時の時代の趨勢,また財政面や教育効果から見ても,決して最適,合理的な選択とはいえなかったと思われる。1-2,国民統合の必要近年,植民地統治の問題を国家統合と文化統合の位相の相違に着目して解明する試みが見られる。駒込武の『植民地帝国日本の文化統合.1(岩波書庖,1996年)がその代表的な研究である。駒込は国民統合の理論の枠組みを台湾の植民地統治に適用し,この日本史上初の植民地統治をまず国家統合の「外」に置きJ君民同祖」など天皇制にまつわる排他的な血族ナショナリズムが植民地住民を「日本人」から排除することを正当化したとする。このような国家統合の次元における差別の構造を国語教育の実施という言語ナショナリズムが覆い隠し補完するという構図を台湾統治に見出している。そして国家統合と文化統合の双方に視点を据え,植民地という「外部jを日本人という「共感の共同体jに包摂しようとする政策はあらかじめ形骸化が運命づけられ-452-
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