りわけマックス・エルンストのコラージュ),レディ・メイド,フォトモンタージュといった「詩的(解釈学的)コラージュ(collagepoetique ou hermeneutique) Jとも区別される。「詩的(解釈学的)コラージュjでは,異質性は,用いられている素材のレベルではなく,意味のレベルで作用している。「分析的コラージュjの場合,素材は,外界から採取されたオブジェでもイメージでもなく,すでに存在する芸術作品そのものである。芸術家にとって,自分自身の作品を切り取ったり引き裂いたりすることは,暴力的で破壊的な行為に違いない。この最初の段階では,元の作品の地位は庇められ,単なる素材となってしまう。しかしながら,このように作品を断片化し,不連続なものにするといった行為を通してのみ,いかに不確かで危ういものであろうともある種の統一性が見出されるのではないか。このような統一性は,自己批判的な試練を経ただけに,一層真実に近いともいえるのである。本論文は,こうした「分析的コラージュ」という視点から,アルプとケリーの「偶然の法則による」コラージュを考察するものである。本論文では,この二人の芸術家が共有していた問題意識を検討するとともに,両者各々における「偶然」の戦略と機能の相違を明らかにすることを試みる。この考察を通して,コラージュにとって本質的な問題である,I断片化]と「統一性Jの聞を織り成す微妙な弁証法的関係が浮き彫りにされるであろう。1.アルプ一一神秘的「啓示」としての偶然従来の研究では,アルプを全般的に論じたモノグラフにおいても,アルプの「偶然の法則による」コラージ、ユを特に取り上げた研究においても,かかる「偶然の法則」の着想源を文学上の典拠に探し求める傾向が強かったといえる。研究者達は,主にアルプ自身の著作や詩作に依拠して,I偶然の法則」という矛盾撞着した用語とその方法を説明しようと試みた。また,アルプが「偶然の法則」を「発見」するにあたって,ドイツロマン主義やドイツ神秘主義(ノヴァーリス,ヤコブ・ベーメ…),あるいは様々な東洋思想(易[1Ching],道教,禅…)の影響を受けたのではないかとされ(注3), 最近では精神分析学を援用しようとする試み(注4)もなされた。しかしながら,このような文学上の典拠にのみ過度に依拠することは,アルプのコラージュが実際に苧んでいた問題を覆い隠し,そこから誰離してしまうことにもなりかねない。文学上の典拠を相対化して見なければならない理由は二つある。一つは,-463-
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