1 ) 0 (おそらくは断裁機で)切り取られた,くすんだオリーブ色と黒色の正方形の紙の一つも私達の作品の明断さを損なってはならなかった。私達が最初に紙絵を切り取るために使っていた鋲でさえ,あまりにも容易に芸術家の手の存在を明らかにするという理由で捨てられた。そういう訳で,私達は代わりに断裁機を使用したのである。[中略]私は,意志によらず,自動的に配置を行うことによって,パピエ・コレの技法を発展させた。私は,それを『偶然の法則によって』行うと呼んだ。偶然の法則は,他のあらゆる法則を含み,そこからあらゆる生命が現れ出る[世界の]根源と同様つかみにくいが,無意識へ完全に自己を委ねることによってのみ体験されうる。私は,この法則に従うものこそが,純粋な生をつくり出すと主張した。(注6)Jこの引用に見られるアルプの「偶然jの定義は,ほとんど神秘主義的な色彩を帯びている。しかしながら,こうした偶然の定義が,ダダ時代のものではなく,むしろ後から練られたものであることは,このテキストに,I自動的J,I無意識」といったシュルレアリスムの用語が用いられていることにも明らかである。シュルレアリスムの自動書記が「理論的虚構」であることが判明するように,1偶然の法則」もまた理論的虚構であることを免れられないであろう(注7)。ではここで,ダダ時代の「偶然の法則による」コラージュの一例を見てみよう〔図片が,黄土色の台紙に貼り付けられているが,その配置の繊細なバランス感覚は,偶然に耳を傾けたというより,アルプの審美的な意図の方を感じさせる。ハンス・リヒターの証言によれば(注8),アルプは紙片を落とし,落ちた通りにそのまま貼り付けたということになっているが,それは疑わしいといえる。アルプ自身,後年になって,偶然へ依拠したのは想像力を刺激するためであり,その際偶然は出発点としてのみ機能したのであって,その後意識的に配置の調整を行ったと述べている(注9)。驚くべきは,ダダ時代におけるアルプの「偶然の法則jが,偶然とはおよそ正反対に思われる,垂直と水平の組み合わせのみから成る,I厳格で非個性的な構成」の制作から生まれてきたことである。この厳格な幾何学的構成は,ゾフィー・トイパーと共同,または彼女の影響下で制作されたものだ、った。アルプは,この時代,I完全さの追及に取りつかれていたJ(注10)と述べており,Iあまりにも容易に芸術家の手の存在を明らかにする」鋲の代わりに断裁機を使用する念の入れ様だ、った(注11)。アルプに-465-
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