鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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とって,偶然は,こうした完全主義からの逸脱を可能にし,極端な厳格主義への反動として現れる。「偶然の法則によるj配置は,一方では,厳密に構成された格子のシステムの印象を和らげるが,他方では,構図の基盤となる格子の構造の存在も緩やかに示されている。アルプは,ダダ時代のコラージ、ユを特徴付けた,構成の厳格さと偶然の苧む自由というこ項対立を,後に越えることになる。しかしながら,アルプの芸術創造は,これ以降も常に,二つの相反する傾向の聞の緊張関係を苧み続けることになるのである。ち返るが,今度は紙を機械で切断するのではなく,手で不定形に引き裂いたのである。作品は,寄せ集めにも劣るように思われた。それは,ぱらぱらになった断片であるようにも見えた。[中略]完全ということには,何という思い上がりが隠されているのだろう。正確さや純粋さに決して到達することができないのに,そのために大いに骨を折って何になろう。作品が完成次第始まる,作品解体のプロセスは,今や歓迎されたのである。[中略]やはり挨と害虫が熱心に作品を破壊する。光で色が槌せる。太陽と暑さで,紙が膨んで剥がれ,色にひびが入って分解する。湿気でかびが生える。作品は崩壊し,死に至る。イメージの死に,私はもはや絶望しなくなった。私は,イメージの消失と死と和解し,それらをイメージの中に取り込んだ。死は広がり,イメージと生を侵食した。[中略]形態は不定形になり,有限は無限になり,特殊は全体になった。(注12)Jこの引用部分は,1930年にパリ・ゲーマンス画廊での「コラージュJ展にアルプが出品を依頼され,ダダ時代のコラージ、ユを保管していた屋根裏部屋から作品を下ろした際の出来事を述べていると思われる(注13)。その際アルプは,ダダ時代にあれほど完壁さにこだわっていたコラージュが,10年余りの聞に顕著な変質を被っているのを発見する。紙というとりわけ脆い素材は,1イメージの死」を免れることができなかったのである。アルプは,完全さや純粋さの追及の虚しさを知る。自然現象が容赦なく作品を浸食していくのをアルプは受け入れるしかなかったが,アルプの場合,他の文明(例えば日本文明)のように,自然による破壊の痕跡をそのまま残すという受動的1930年,アルプに芸術上の危機が訪れる。その際アルプは「偶然の法則」に再び立11930年頃,手で引き裂いたパピエ・デシレのイメージが生まれた。人間の作った466

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