鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
476/670

な受容にはとどまらなかったOアルプが作品の死を乗り越え,あまつさえ取り込もうとしたやり方は,より暴力的で自己破壊的ですらある。というのも,今度は芸術家自身が,過去の自分の作品を「喜んでJ(注目)引き裂くことによって,自然の破壊的な力を自らのものとしたからである。暴力的な行為を通して,死んだ作品をいわば蘇らせることによって,芸術家は自分自身を救済しようとしたといえるかもしれない。から多なかれ少なかれ距離を取るようになっていた。アルプは,自らの芸術の起源で、あるダダ時代の造形的及び詩的な経験を顧み,パビエ・デシレの起源をダダ時代の詩集『雲のポンプ(Wolkenpump巴)jにまで、遡っている(注15)。ダ、夕、時代への「回帰jは,アルプに再び「偶然の法則」という方法上の指針を与えたのみならず,より具体的には,デッサン・デシレの素材提供した。パピエ(デッサン)・デシレにおいて,偶然は,もはや格子といったシステムに拠らずに,断片をより自由に撒き散らすといっ構図のレベルで機能しているばかりでなく,引き裂くという破壊的な行為そのもののレベルでも機能している〔図2J。というのも,引き裂くという行為は,コントロールされた切断よりも偶然に左右され,不規則だからである。アルプ自身,I私達が紙をヲ|き裂く際,r偶然」が指を導くJ(注目)と述べている。それ故,ここでは偶然は,破壊的なプロセスと創造的なプロセスの双方に参加しているといえる。しかしながら,デッサン・デシレをより詳細に検討するならば,ある時はアラベスク風の描嫌が引き裂かれた断片の端で出会い,意図的に新たな連続した線を形作っているのに対し,ある時は描線はシンコベーションのようにぎくしゃくしたリズムのまま不連続となっている〔図3J。従って,アルプは,連続と不連続,重なり合いと間,必然性と偶然の聞を意図的に戯れているといえよう。驚くべきことに,パピエ(デッサン)・デシレが生まれた時期は,その一方で,アルプが石膏,大理石,石,青銅等伝統的で堅牢な素材を用いて,有機的な丸彫り彫刻を始めた時期と合致している。パピエ(デッサン)・デシレでは,アルプは紙の不規則な端のほつれを故意に残し,黒い紙の繊維が台紙の至る所に飛び散るままにした。それは,表面にざらざらした肌理を与えている。逆に丸彫り彫刻では,アルプは湾曲した表面を完壁に磨き上げることに執着しそれはまるでアルプの完全主義の強迫観念が舞い戻ってきたかのようであった。アルプのこれらの芸術活動は,表現方法の顕著な1930年頃には,アルプは,1920年代に密接な関わりを持っていたシュルレアリスムすなわち,元になる素描(あるいは版画)を数多く467

元のページ  ../index.html#476

このブックを見る