に人間中心だ、った。J(注26)と書いているが,この共通項から出発して二人の芸術家が取った解決方法は,大きく異なっている。アルプにとって,偶然は神秘の「啓示」であり,最終的には不可視の形市上学的な次元に属していた。ケリーも,かなり後になって「神秘」という言葉を用いるようになる(注27)。また,写真家エドワード・ウエストンの次の言葉に自身の芸術との親近性を認めて,それを引用しでもいる。「写真は,[中略]解釈や,自然のそつあるべき姿について偏った見方をすることではなく,啓示である一一事実の重要性を,絶対的,非個性的に認識することである。(注28)Jしかしながら,ここで聞かれる「神秘J,i啓示J,i絶対jは,少しも形而上学的な次元には属しておらず,ケリーは,常に「視覚の範囲内J(注29)で,視覚そのものの中に苧まれる神秘を見出そうとしているのである。を遂げる。この夢の中で\ケリーは,大勢の子供達と正方形のパネルから成る巨大な壁画を制作中であった。その後ケリーは,夢で見た光景を基に,黒インクで素描を制作する。ケリーは,この黒インクの素描を20枚の同じサイズの正方形に切り取り,正方形の端と端を合わせて,元の素描と同じフォーマットの台紙に貼り込み,オール・オーヴァー(allov巴r)な格子の構造を作り出した〔図5J。この偶然による置き換えのシステムは,反復と差異を組み合わせることを可能にする。ここでは偶然の要素は,切り取られた素描における黒インクの模様のヴァリエーションと,格子のシステムの中での正方形のユニットの置き換えに見出される(注30)。むろんケリーの場合も偶然の役割が限定されているのは,例えば<<シテ〉のための習作〉において,黒インクの筆の方向が全て水平であることにも明らかである。芸術創造の過程においてあらゆる構成の意図が排除されていると証明することが困難で、あることに変わりはないが,この格子による偶然のシステム化は,ケリーにとって別の問題を解決する可能性をもたらした上で重要であった。それは,ケリーの芸術にとって根本的ともいえる,図と地の関係の問題である。アルフ。の手法に倣って「偶然の法則による」コラージ、ユを制作した後,ケリーは,アルプの手法が構図の古典的な秩序関係を排除しないことに気が付く。アルプの「偶然の法則によるjコラージュでは,図(貼り付けられた断片)と地(台紙)の聞の古典的な対比関係は,明白にヒエラjレキーとして現れ,図が地を支配している。従って,アルプにおいては,図と地の関係はさして問われていなかったことになる。それに対してケリーは,この問題に1951年の春,ある夢で見た光景をきっかけに,ケリーの偶然の戦略は決定的な変化470
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