真正面から取り組み,フランス時代において,図と地の聞の対比関係を乗り越えようとするのである。<<シテ〉のための習作〉に始まるシリーズ、において,ケリーは,I形態(shape)を地から解放J(注31)し始める。正方形のユニット同士が極度に接近し,最終的にくっつくことによって,その聞の空間(地)は,外に搾り出され(squ回目d),押し出される(注32)。ケリーにとって,格子は,秩序と無秩序,全体と断片との聞の均衡を表しており,ケリーが格子を用いたのは,構図の中心に特権を与えることなく,イメージを同一の形態に破裂させるためである(注33)。さらに,格子のシステムは,正方形のユニットの数を増減することを容易にした。この増減のシステムは,I [世界において]あらゆるものは別々に独立しているり,それぞれ唯一の存在である。J(注34)と考えるケリーに適していた。ケリーの芸術は,常に「部分を数えることJ(注35)の昇華された形態となろう。ケリーが格子のシステムを用いるようになったのには,幾つかの影響源が考えられる。ケリーは身の回りの環境の中に格子に似た構造を見出し,それをそのまま「転写」していたし(注36),クレーの格子を用いた構図もボストン時代からすでに知っていた。しかしながら,ケリーがアルプのアトリエで見たゾフィー・トイパーの作品が,ケリーに及ぼしたであろう影響は無視できないものがある。実際,アルプは,格子のシステムに関しては,ゾフィー・トイパーに先駆者の役割を認めていた。例えば,ゾフイー・トイパーが,16枚の金地の正方形の上に,様々なサイズの四角形の色片を貼り付けて制作した〈オブジェの要素のある垂直水平構図)(1919年)(図6)は,ケリーのコラージ、ュとの顕著な構成上の親近性を示している。「構造jを常に追及してきたケリーにとっては(注37),アルプよりゾフィー・トイパーの厳格な幾何学的構成の方が,図と地の構造上の問題を解決する上で示唆的であっただろう。コラージ、ユを制作した他の芸術家とは違い,ケリーは,コラージュを自律した作品,すなわちそれ自体で完成した作品とは見なしていなかった。ケリーにとって,コラージュは,素描が古典的絵画に対してそうであったように,準備習作,一種の模型のような役割を果たしていた。コラージ、ユ模型の<<シテ〉のための習作〉を基に制作された,20枚の板のパネルを組み合わせた絵画〈シテ〉は,ケリーにとって最初の大型のポリブティックとなる。ケリーは当初20枚のパネルの配置を自由に置き換えることができるようにしようとしたが,最終的に元になったコラージュの配置に戻り,それを上下逆様にすることで落ち着いた。コラージュ模型と最終的な作品との本質的な違各々のものはそれぞれの空間にあ471
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