ゑ士号吉小口口口ュJを比較してみたい。中に含まれていた「偶然(の法則)によるJという表現は,<大きな壁のための色彩〉のための習作において消え去る。それは,偶然の戦略が終わりを告げ,新たなパースベクテイヴが聞かれたことを象徴的に示していた。以上の考察を通して,本論文では,アルブとケリーの「偶然の法則によるjコラージュの戦略と機能を,言説と作品の両方のレベルから明らかにしようと試みてきた。この両芸術家は,非個性的な匿名の芸術という問題意識を共有し,それが彼らを偶然の可能性の追求に駆り立てたのであるが,i偶然の法則による」創造というトポスの矛盾がほどなくして明らかになる。少なくともケリーは,ユニット(単位)としての色面という,彼の芸術上の追求により適したコンセプトを見出した作品〈大きな壁のための色彩〉以降,偶然の戦略を放棄する。「偶然の法則」が「理論的虚構」であるように,二十世紀を通じて数多くの芸術家を魅了した,非個性的な匿名の芸術というトポスもまた,理論的虚構,一種のユートピアであることを逃れられないであろう。しかしながら,必然性と偶然,消し難い個性と望まれた匿名性との聞の避け難い矛盾にこそ,アルプとケリーは豊かな創造の可能性を見出したのである。それではここで,クレー,アルプ,ケリーの三人の芸術家による「分析的コラージクレーの,切り取られた後再構成された作品においては,切断面は常に垂直か水平であり,絵画の長方形の枠をいわば反復している(注49)。分割された部分を回転させ,中央と端を入れ換えることで,空間は内側に転回し,自らのうちに閉じる(注50)。クレーにおける不連続性への志向はこの閉じた空間によって反作用を受ける。アルプは,素描を引き裂き,そうして得られた断片を,クレーが再構成を行う際の動きの方向性とは逆に一一すなわち内側から外側に向けて一一撒き散らす。アルプのデッサン・デシレは,聞かれた不連続な描線によって,聞かれた形態となる。逆に,図と地の古典的な対比は維持され,絵画の枠の中に限定される。ケリーは,格子のシステムへの依拠と,切断面が絵画の端を構成する垂直椋と水平線を反復する傾向が強い点において,クレーのコラージュとの親近性を示している。しかしながら,ケリーの場合,コラージュから大きなスケールの作品へと「聞かれて」おり,スケールが本質的な問題となる点において際立っている。-474-
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