鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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出すよう申渡され,光貞持参。7目指摘された山本数馬(守札)・狩野宗三の先代以前の御用履歴の書漏らしを9日に提出。10日「今一応委ク相手LJすよう「絵師名前帳」3冊が御下げ。12日丸山主水(円山応挙)弟子について但書き提出。18日「身元弁先代御用相勤候旨由緒帳面」を以前の3冊と共に提出。ここまで完全に書類審査で,執拘に身元が確認された(注6)。23日光貞・探索に宮脇円蔵以下28名をどちらかの宅に呼出して席画をさせ一両日中に提出するよう下命。絵様は何でも良いが彩色との事。26日席画19人分提出。残り9人は病気等を理由に延引。その後,30日掛に届いた4人分を翌閏6月1日に提出,以下10日に3人分,13日に2人分提出。ただし13日,更にl人が延引を申出ており,10 人になってしまうので人数には誤記がある。8月11日探索名代の式部(後の探泉)に「画ノ達人又者由緒有之候者共」があれば追願するよう仰付け。10月3日掛は採用者・担当箇所帳面と絵描き銘々に渡す担当箇所絵様の書付半切65枚を受け取る。絵師一統へ仰渡しは5日だが「多人数之義ニ付…手積之為」予め「含置Jとの配慮で,4日光貞・探索らに伝えた。5日午刻光貞・左近将監(光時)・虎若丸(後の光宇),探索・探泉が表口に罷出,造内裏奉行列座,掛・修理職立会いで仰渡しがあり,書付を渡された。残る「惣絵師」は午半刻・未半刻2回に分け御内玄関で仰渡しがあった。まず嶋田主計頭(島田元直)・内匠権助(敏直),座田中務少捧(重増)・大隅守(維親),三沢左近府生(維清),続いて絵所木村了琢。彼らは他とは別立てで記録され,その後にまとめて55名の絵描きが列記される。最後に別立てで山本右近・竹内由右衛門・山根図書・三谷逸記の仰渡しが記録される。「御内之輩」は願出の時と同様仰渡しの場所等に違いがあった。ここまで70人。加えて「紫寝殿賢上(聖)障子等之絵者関東絵師狩野栄川江被仰付J,武家伝奏から所司代に掛合ったと言う。選抜結果一採用率と武家の申渡し一では席画を課された28人とは誰か,遅れたのは誰か,そして彼らは採用されたのか。遅れて提出した最後のl人は7月26日提出の勝井遠蔵と判明するが,他の27名は誰か。「士山J249に含まれる「御用相願候絵師名前」は,選抜結果を如実に示す。記載順も重要なので,便宜上7部に分け,以下に掲げる(注7)。「酉五月二日表b被出,此度造内裏ニ付御絵御用伝奏衆江相願候分,議奏衆S御渡,土佐江御用相勤候由緒・始而相願候者身元札等申出候名前,496

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