鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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⑩ マティスと制作プロセスの写真による記録/提示1.プロセス写真の発表30年代初頭,マテイスは規則的かっ詳細に自らの作品の制作過程を記録しはじめる。31年,パーンズ財団のための壁画〈ダンス〉がそのきっかけであった。よく知られて一一1945年マーグ画廊における展覧会をめぐって一一研究者:東京大学大学院総合文化研究科博士課程近藤本調査研究はアンリ・マテイス(1869-1954年)が1945年12月にパリのマーグ画廊で開催した展覧会を対象とする。このあと戦後フランス芸術界で中心的な存在となるマーグ画廊がパリで実現した最初の企画であるこの展覧会の構成は,6点の油彩に多数の素描であった。特異な点は油彩画のすべてについてそれらの制作過程を詳細に記録した写真が,ほとんど完成作と同じ大きさに引き伸ばされ,さらには額装された上で同時に提示されたことである〔図1~ 3 J。事実この展覧会は当時大きな反響を呼び\複数の新聞・雑誌が相次いで多くの紙面を割く(注1)。したがって本論では,そうした批評テクストの分析を通じて同時代がこの展覧会をどのように受容したかを検討するとともに,マティスの実践全体の中でそれがどのような位置を占めているのかを解明すべく試みる。いるように,この作品が設置されることになっていた壁面の特殊な形態のため作業は困難をきわめ,画家は頻繁に変更を繰り返すことを強いられた。そのような状況において,写真を用いて記録を残し,それと比較することを通じて自らの行った修正の意味を確認したいという欲求が生じるのは当然と言えよう。こうして導入された写真による制作プロセスの記録はその後30~40年代を通じて恒常的な実践となっていく。さらにマテイスは,これら記録写真を機会のあるごとに訪れた知人や批評家に見せ,また定期的に雑誌などの媒体に発表した(注2)。マーグ画廊での展覧会は,そうした持続的な活動を踏まえて開催され,かっそれらを完成させる意味を持っていたのである。では,なぜ、マテイスはかくも執劫に自らの制作過程を記録/提示したのだろうか。その目的とは何だ、ったのか。マーグ画廊における展示の異例さは当然批評家たちの注意を引き,複数の評者がこうした疑問を発している。実を言えば,直前の45年10月頃行学-502-

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