鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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⑪ 盛唐山水画様式の研究一一正倉院山水図と敦埠壁画を中心に一一研究者:京都大学文学部研修員はじめに正倉院宝物は八世紀の遺物として,日本・朝鮮半島・中国の聞に頻繁に行われた文化交流の様相を呈すとともに,諸々の領域の美術品が千二百年以上にもわたって伝わっており,東洋古代美術史において非常に重要な存在であろう。正倉院宝物の研究はかつて一時的に隆盛をみせた時期があり,その際にさまざまの研究成果が挙げられたが,近年,正倉院宝物関係の研究はそれほど盛んであるとはいえず,絵画関係,とくに山水画方面の研究は稀であると言えよう(注1)。正倉院の山水図が,東洋山水画史において如何なる地位を占めるのか,またはそれを如何に位置づけすればよいかという問題について,一定の回答を与えることは,宝物自身の存在意義,東洋山水画の成立,そしてその初期的展開に関する理解に大いに助けるものと思われる。本稿は,主として八世紀前半から中葉頃の遺品である正倉院山水図を敦埠壁画,そして近年,中国の各地から相次いで発見された壁画や考古出土品などと照合し,以上の問題に対して検討・考察を目的とするものである。一,正倉院絵画の概況周知の如く,正倉院収納の宝物は,主に「帳内宝物」と「帳外宝物jというこ系統からなる。「帳内宝物」とは天平勝宝八歳(756)の『東大寺献物帳.1(国家珍宝帳)を初めとする五巻の献物帳に記されるものに相当する。薬物を別にして献納当初には七百点余りあったが,I恵美押勝の乱」に際して四百点近い武器・武具が持ち出されたことに平安時代初期までの出蔵によって,現在百数点に過ぎないというが,正倉院宝物の核心となるものとして知られる。こうした「帳内宝物jに対し,目録が伝わらぬいわゆる「帳外宝物」の品々はまた大量に伝存する。それは主として天暦四年(950),東大寺痛索院の双倉に収納されてあった什宝類が正倉院に移されたものである。大部分は南倉に納められたが,一部は北倉と中倉にあるという(注2)。用途によって正倉院宝物を分類してみると,I調度品J,I文房具J,I楽器J,I遊戯具J,「仏具J,I年中行事品J,I武器・武具J,I服飾品J,I飲食器・厨房具J,I香薬類J,I工匠具J,I書籍・文面J,I文書」十三種類ほどとなる(注3)が,工芸関係の遺品は圧白適銘

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