注(1) 正倉院山水図に関しては,主に以下の論考を参照。(3)関根真隆『新編名宝日本の美術第5巻正倉院』小学館,1990年,65~66頁。(5) 関根真隆前掲書または松下隆章「献物帳画扉風についてJ(正倉院事務所編前掲絵山水jは,八世紀初頭,山水画が一個のジャンルとして独立して以来,三,四十年を経て,ついに完成の域に達し,定着した本格的山水図として挙げられよう。これらの山水図は,盛唐山水画史における成熟期の産物でありながら,当時の山水画の流行の盛況とその多様さを表す好例でもある。上述のように,筆者が様式分析によって,七世紀から八世紀半ばにわたる正倉院山水図,敦'崖壁画,長安貴族の墓室壁画をめぐって,盛唐時代における山水画の成立とその様式的展開を論じてきた。ところが,八世紀山水画研究にはいまだに充分に理解,または解明されぬ問題が数多く残っているのは事実である。新資料の出現に応じて,さらに幅広く文献資料,または絵画様式に対するより詳細な総合的調査を要し,現在の空白を補い,新たに研討を重ねていくことが今後の緊要な課題であると思われる。松本栄一「正倉院山図の研究(一)~ (八)H国華』第596~598,602, 604~606, 米沢嘉圃Ir山水の変』と騎象鼓楽図の画風Jf中国絵画史研究・山水画論1平凡社,1962年同氏「正倉院の山水画をめぐる諸問題Jf国華』第1137号,1990年同氏「唐代における『山水の変.IJf国華』第1160号,1992年中島博「麻布山水図についてJf正倉院年報』第17号,1995年(2) 米田雄介,f正倉院宝物の歴史と保存.1(吉川弘文館,1998年)または東野治之,「正倉院宝物の伝来J(f遣唐使と正倉院』岩波書庖,1992年,に収む)参照。(4) 田中ー松「正倉院の絵画序説J(正倉院事務所編『正倉院の絵画1日本経済新聞社,1986年,に収む)2頁。ほかに,溝口禎治郎,I正倉院待11物中の絵画につい書,141 ~ 148頁)参照。(6)小島登茂子「敦埠壁画における北周・晴代の山岳表現一説話表現との関連をめぐってJ r美術史』第131号,1989年,16~30頁。608号,1940~ 1941年てJ(r寧楽十二正倉院史論1寧楽発行所,1929年)も参照。
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