⑫ ロダンとオリエント一一視覚芸術とパフォーミンク・アーツの関係から一一研究者:静岡県立美術館学芸員はじめに本稿は,オーギュスト・ロダンと「オリエント」を巡る彼の芸術形成の実態について整理・再検討するものである。晩年の約30年間の活動を概観すれば,ロダンの主要な芸術テーマは「ダンス」と「オリエントJであった。前者には西欧のモダンダンス,後者には日本などアジア諸国由来の美術コレクションが含まれるが,両者の条件をともに満たすオリエントに由来するダンスやダンサーの存在は,ロダンの晩年にとって特筆すべき事柄であった。「ロダンとダンスJIロダンとオリエント」を主題とした展覧会や先行研究は1960年代から見られるが,身体芸術との関係から二つのテーマを総括した考察はまだ不十分である。よってこれらを下敷きに,本稿では,1880年代終盤に始まるロダンとオリエントとの関わりについて,視覚芸術へのパフォーミング・アーツの応用と影響という観点から検討し,ロダンの芸術創造におけるその意味について考察を加えることを目的とした。本論に入る前に,本稿で述べる「オリエント」の定義を初めに述べておく必要がある。すなわち,ヨーロッパから見た東方の国々という従来の定義を踏まえつつ,その意味を拡大解釈し,ヨーロッパの対概念である西欧の外部,すなわち非西欧圏の文化を指すものと定義したい。なぜならば,ロダンというヨーロッパ人美術家と非西欧という他者との出会いは,ロダンのヨーロッパ的伝統の中に潜在していた,もう一つの自己の可能性を発見する機縁となったからである。ロダンが接触・交流を持った地域は,むしろ当時のフランス領インドシナや日本なとミの極東地域が多かったのだが,当時のヨーロッパという概念からは外れるであろうロシアをも含み込む語として,Iオリエントjをf吏用することとした。ロダンとオリエント若い頃,オペラ・バレエを見ている時は,なぜギリシア人たちがダンスを何よりも高い位置に置いているのか理解できなかった。しかし,アジアのダンスを見た今では理解できる。ダンスが創り出す肉体は,ムーヴマンとともに,言葉よりもはる南美幸523
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