一525-(1) ジャワのダンサー説を依頼されて執筆しており,ロダンとオリエントとの関係の深さを物語っている。なお,1878年に開催されたパリ万国博覧会とロダンとの関連性を示す資料は,現在のところ見当たらない。では,先のクロノロジーに従って,ロダンとオリエントのパフォーミング・アーツとの交流から生まれた作品,ロダンおよび同時代人による批評から,ロダンの中のオリエントについて考察を進めてゆく。広場に建設された植民地セクションの現地住民による玉石混鴻のアトラクションが,様々な評判を得た。中でも,16才から13才までの4人の娘たちによるジャワのダンスの評判は高く,批評家・美術史家のギ、ユスターヴ・ジョフロワ,クロード・ドビュッシー,シンガー・サージ、ェントらが魅了されたと伝えられている(注4)。「実物を前にしてスケッチをしたジャワ人の踊り子たちの素晴らしさについて語った」(注5)。彼を若、きつけたのは,I蛇行ゃうねりを引き起こしつつ生み出される動きの連続性」であり,これに対してフランスの「踊りはあまりに軽快すぎ,その動きがあまりにとぎれとぎれであるように思われた」。これは,ダンスに対するロダンの初めての批評である。ジャワのダンサーをモデルにして制作された素描は,わずか5点ほどにすぎない。しかし,生きた,動くモデルを主題にしたデッサンは,それ以前の作品と比較すると,純粋な線で,対象を大きく単純に捉える様式へと変化している〔図1)。が,まだ描線は硬く,動きの連続を把握しようとする試みにもかかわらず,静的で,流動性が少ない。これは,ロダンの素描のスタイルの変化が未成熟なためもあるが,元来ジャワのダンスが「極端に緩慢な動きの連続」だ、ったことにも起因する。批評家ルイ・ゴンスは,I博覧会の芸術ーオリエントjという寄稿文の中で,次のようにジャワのダンスを評した。ジャワのダンスは,その単調さ,動きの厳かな緩慢さにおいて,幾世代にもわたって伝えられた原始的な儀式の印象を我々に与える。そこには,繊細で洗練された芸術の名残がある。芸術家の眼は,仏教にその起源を遡る,奇妙なリズム,姿勢,身振り,手の変化,身体の反り返りやかしいだポーズに無関心ではいられない(注1889年3月6日から11月6日まで開催されたパリ万国博覧会では,アンヴァリッド1887年にこの博覧会小委員会のメンバーに選出されていたロダンは,ゴンクールに
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