多くを学びつつ,後に印象派となる画家たちは影の追求を深めていった。視覚が次第に繊細さを増すと,影と光が無彩色ではないことに気付く。モネは「庭の女たちj[図3Jにおいて光と影の強いコントラストを用いているが,影に色彩があることも大胆に取り入れている。ところで,モネをはじめ印象派の画家たちは,補色の原埋やニュートン光学によって,影が青く見える原理について知識として吸収していたといわれている(注6)。しかし,もともと青い影自体は印象派以前から存在が知られていた。ダヴインチは青い影を研究しており,また,ゲーテの「色彩論」には青い影から啓示を受けた山上での体験が記されている(注7)。つまり,影の色彩について科学的性質を知識としてもっていても,これまでは,その色彩が絵画に実際に持ち込まれることはなかった。それは人聞が見慣れているものから逸脱した風景になるからであろう。しかし,印象派は敢えて慣習的視覚の抵抗を克服して,この「青い影」を作品の中に導入した。しかも,より青い影を実践するために,他の色彩の影響を受けない白い霜や雪の日を選んでいく。その最上の作例としてモネの〈かささぎ〉は描かれたのである。この青い影を発見したことによって,印象派の画面は暗い陰影を排除して明るくなった。一般的には,それに伴って絵画空間が浅くなり,平面化してしまったといわれる。しかし,この青という色彩は,一見画面を平面化したように見せながら,空間そのものの奥行きのゆたかさは失っていない。印象派が雪景色を好んだ事実からも分かるように,彼らは机上の論理としての色彩理論や光学理論だけをもって新しい陰影表現を採用した訳ではなくあくまでも自然の中に様々な色彩が現れるのを自らの日でたしかめてそれを探求した。時聞が経過するにつれ,その観察はさらに深みを増していく。地面に投影された影から,空気の色へと。モネは[空気の色がわかった。紫色だ。3年後には世界は紫色になっているだろう。」という言葉を残している(注8)。この青紫色は,印象派の寄妙な色彩として榔撒の対象となり,それを多用した彼らは「青狂いjまたは「藍狂い」と呼ばれることになる。黒い影を排斥し,色彩を帯びた陰影を用いるようになったが,通常言われているように,画面の平面化のみを目指した訳ではなく,むしろ正反対に,微妙な陰影を駆使して表現されたゆたかな空間が現前するようになっている。暗黙のうちにタブーとされていた青い影を絵画に持ち込んだ非常に新しい明暗表現であったがゆえに,近代主義絵画批評の中では“平面的"と一面的に解釈されてしまい,今日においてもそのゆ-537-
元のページ ../index.html#546