とに対して「宗教新聞が私をぬかるみに引きずり込もうとしたが,私がそれに汚されることはなかった。(…)これは古く崇められてきた様々な伝統からの断絶なのだ。宇宙の高みから私に雷が落ちてきたのだ」と回想して述べている(注11)。しかし,この作品において何よりも驚くべきなのはジェロームが影を作品の主題にしていることである。光と影の描写に対して自らがどれほど先鋭な意識をもっているかを誇示するかのごとくに。そして,1868年の時点でこの表現を敢えて試みたジェロームが,翌年モネの『かささぎ』を目のあたりにして,激しく拒否反応を示したことには,おそらく何らかの因果関係があると考えてもよいのではないだろうか。若い画家たちの自分を遥かに超える明暗表現に,既に功なり名遂げて(そしてまだまだ野心に燃えた)画家の競争心がかき立てられた,といったような。ジエロームが光と影を特に細心の注意をもって表現していたことは,彼の他の作品からも読みとれる。『ポリス・ヴェルソj(図5J, rカフェ内の剣の舞j(図6J, rムーア風呂,入浴するトルコ女j(図7Jいずれの作品においても,主題の舞台背景を演出するための重要なモチーフとして閣の中を射し込んでくる光や窓の存在を暗示する光が表されている。東方趣味的な主題が殆どであるから,中近東の国々を実際にジ、エロームが訪れた時に目視体験した光と影のあゃなす空間の美しさを取材したものだろう。先述した通り,ジ、エロームの画風に対する今日の評価が固定化しており,I仕上げ」が常に問題となるため,光と影という印象派との接点は見えにくくなってしまっている。アカデミスムやオリエンタリスムという大枠を背負っているために,彼個人の特殊な表現が看過されてしまうのである。ジェロームの拒否反応や攻撃は,自らの「仕上げ」と印象派の「なぐり描きjという正反対の様式の違いのみからくるものとは思われない。これはおそらく自分自身が執着していた表現に,若い画家たちが抵触したという心理的車L牒が加わって複雑に作用した結果なのではないだろうか。では,自然の明暗表現にこれほどこだわったジエロームは,なぜモネらの表現を受け入れることができなかったのか。この間いに答えるためには,ジ、エロームの明暗表現の特徴を分析する必要がある。『カフェ内の剣の舞』などの作品を具体的に観察すると明白なように,彼が好んで、繰り返し画中に描いた屋内に射し込む光の筋は,いわば写真的レアリスムによるものである。ジ、エロームが画商グーピルの娘マリーと1863年に婚姻を結び,以後グーピルの庖から作品の写真製版を売り出してその販路拡大の思恵を受けていたことは周知の事実
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