鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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1874年に第一回印象派展が開催されてから2年後の1876年に,フロマンタンは『昔日である。そして,自然光の照明効果は,そうした写真製版による複製画にもそっくり活かされている〔図8),[図9),[図10)。また,ジ、エロームはポール・ドラロッシュの弟子であったが,同門には後に革新的な写真家に転向したギュスタヴ・ル・グレイがおり,ジエロームの油彩作品をル・グレイが撮影したものも残っている(注12)。逆に,ナダールが撮影した裸婦の写真イメージをジエロームが油彩作品に引用した作例も知られている。ジェロームは写真術及びその利用法には相当通じていたことであろう。つまり,彼のそれは写真的明暗法である。このよっにしてサロンに,思い切った明暗法や影を使用した作品を出品して批評家らの注目を浴びていたジ、エロームは,自らの新しい光の表現に大いに自負があったとしても不思議で、はない。自作と写真との関連性を語った彼の言葉は残念ながら見つけられなかったが。モネらが発見し,発展させた青い色彩を帯びた陰影と比較すると,ジエロームの光と影は,依然として従来のキアロスクーロの延長線上にありおそらく写真という装置を介在させて実現し得た新しさだといえる。このようにして考えてくると,1869年のサロンにおけるモネの『かささぎJ落選は,単なる筆触の問題であるよりも,この時代に転換点にあった明暗法の変革をめぐって新旧の画家が対立した一つの結果であるという仮説が成立し得るのではないか。最後に,印象派登場前後における明暗表現に関する絵画の動きの一端をもう一例確認しておきたい。オリエンタリストの画家ウジェーヌ・フロマンタンの陰影観である。の巨匠たち』という著作を上梓している。これはオランダとベルギーの17世紀絵画をそれぞれの固に赴いて鑑賞した芸術紀行文である。その中で,フロマンタンが,印象派などの新しい動向を暗に批判している部分がある。の絵画において重きをなすようになった。これらがこれほど重視されたことはいまだかつてなかった。それに,はっきりいってしまえば,本来これほど重視するにはあたらないものなのである。奔放な想像力の所産のすべてかつてパレットの神秘と呼びならわされたもの(その頃,神秘的であるのは絵画の魅力の一つだ、った),こういったものは,今や絶対的真実,文字どおりの真実に対する愛にとって代わられてしまった。4 まとめ:キアロスクーロの多様化11外光j,1散光j,1真の陽光j,こうしたものが,今日,絵画,それもすべての分野-540-

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