鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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と承知しながらも写真やリストの調奈について確約を得,実際には2002年l月22日から26日にかけてソウルに滞在,韓国国立中央博物館所蔵の墓葬美術資料のみならず同館の大谷探検隊収集品全体に関わる情報をほぼ把握した。関係の全遺物カードの情報は,筆者が本調査研究を申請したころに小部数作成された報告書(非売品,閲氏によれば禁複写)で提示されていたため,この確認と情報把握を実現した。上記と相前後して関西所在の情報や資料の確認を継続したが,2002年4月16日から守山市の佐川美術館で「旅順博物館仏教美術名品展締綱路の至宝jと「西本願寺仏教伝播の道踏査-00年展紙網路の秘宝」が同時開催され,それぞれ同名の図録が作成された(文献28,文献29)。ここで表裏が彩画紙片・古文書と両様に表現される吐魯番出土墓葬美術資料が両面から確認できる形で提示され,本調査研究においても深く検討する方向で扱うことになった。また4月下旬,筆者が中国側から公表することを何度も申し入れていた龍谷大学所蔵の吐魯番出土伏義女鍋図に繋がる在ウルムチの断片が,計らずも上述のように北京に滞在中に情報交換した人物の著書中で初めて公表されたことを確認した。より鮮明な写真を把握すべく現在問い合せ中である。さらに5月1日,龍谷大学所蔵文書の接合による「青龍jの輪郭,すなわち墓葬美術資料,彩画紙片群としての「青龍jの輪郭に関わる貴重な接合案が提示された。調査研究期間の最末期に申請時の研究課題に最も深く関わる資料や構図復元案が提示されたことになったので,本調査研究報告は,以下にこれらの問題を軸として扱うこととする。第l節伏義女嫡図(龍谷大学所蔵分+龍谷大学所蔵分断片)龍谷大学所蔵分でおそらく1962年に初めてその姿が公表されたl点,すなわちかつての「第三J(文献7の図版第24),あるいは「三J(文献11のPl.III & 198~ 199頁),近年までIBJ(例えば文献22の28頁図14)とも表示されていた伏義女鯛図がある。一方,同じく龍谷大学所蔵分の織物の断片で,1963年におおよそ4本の折り軸が想定されるような折られた形で公表され(文献9の図版第6下),近年の染織資料の調査において「資料11彩絵平絹J(文献20の横101頁&108頁写真11)とされた織物断片がある。前者には多くの陳列歴とカラー図版公表があるが,後者は現在に至るまで陳列歴を確認第2章伏義女嫡図の構図・原形復元-547-

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