鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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図版部分は〔図4-C])。この図版で使用された大谷文書を,ほほ左から右へ,すなわち「青龍」の頭から尾・後足の方へ番号で示すと,次のようになる。頭周辺=2384,2965, 1232;前足ニ1222;背ニ2391;腰・尾=2988,2387, 2977;後足ニ1376。丈書の文字は「青龍」の頭を左として見た場合,前足となる断片のみ上下逆となるが,その他は回転の必要ない方向で相接している(以上,文献12の各文書図版による)。筆者はこの接合・輪郭復元に刺戟され,また前々節,前節で、扱った諸点を考慮して更なる輪郭復元を試みた。彩画紙片と重なるこれらの古文書類は8世紀半ば近くの均回制関係・官庁丈書類であるが,何枚も貼り接がれた古文書をさらに縦横に重ねて貼り合わせ,何重にもなった状態で少なくとも片方の最も外側に位置する面に彩画を施したものである。当然ながら重ねて貼り合わせた後にまとめて切断して輪郭を作っている。文書の貼り接ぎと重ね貼り順の確認には,なお長期にj度る実見作業が必要であろう。ここでは墓葬美術資料の構図復元という観点から,その輪郭に関わる結論だけを示すに止める。以下に各部分の輪郭の結論の私案を提示する〔図4-D]。これまで未提示だ、った輪郭の要となる文書(群)も示しつつ,各部位近辺でさまざまに重なるものを列挙すると,以下のように70点ほどになる(既言及の他に文献4,文献5,文献14を使用)。上顎ニ2895(輪郭),1418, 2390, 2394, 2869;下顎=1233 (輪郭),2972;頭周辺二2930 (上部含む輪郭),1228, 1232, 2384, 2867, 2875, 2892, 2900, 2965, 2974, 3004/ 彩画は旅博番号不明(彩画面のみ公表),旅博20.1405之一(裏の文字面のみ公表); 頭から胸ニ2392十1225+2388,2854十2852+2853,2912+2886+2891;前足(上下)=3009 (裏で輪郭),4382 ;前足(上)ニ1226,1230, 1250, 2874, 2894, 2902, 3013 ; 胸周辺二2604,2887, 3354 (裏);胸から腹二1238(輪郭)/彩画は興善寺illa(彩両面のみ公表);背から腹・背・腹=3150(輪郭),1080, 1227, 1236, 2386, 2391, 2599, 2856, 2897, 4910,橘資料11038/彩画は旅博20.1415;腰・尾=2601,2857, 2868, 2977 +2387,2980,2987,2988,3010,4897/彩画は旅博20.1415之二;後足=4880(輪郭); 1376, 2598, 3355 (1), 4879 特に面倒な位置に来る上下の顎と前足(裏関係)の輪郭を示す文書2895,1233,3009を掲げておく〔図4-E]。なお,新彊地区で確認されている育龍の例としては,和田(ホータン)西南18km,布札克(Buzhak)古墓地で1983年に発見された1号木棺や2号木棺の側板に描かれたものが知られている(文献21の98頁図版0225,99頁図版0229)。551-

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