モルガン図書館所蔵の紙葉と〈スーヴィニーの聖書〉を比較すると,ゴリアテの首を切るダピデと切り取った首を持つダビデの位置がちょうど逆転していることに気付く。モルガン図書館所蔵の紙葉においてダビデが向かう先には出陣場面のサウル王が描かれており,ゴリアテの首を持つダピデはあたかもその首をサウル王に見せるために出陣場面へと引き返しているようである。つまりここでは画面左から右へと進行する物語展開と逆行するようにダピデを画面左に向かうポーズで描くことによって,〈スーヴィニーの聖書〉において出陣と帰還の際に2度あらわされたサウル王が出陣場面のみに省略されたのではないだろうか。SBではさらに首を切る場面が省略され,こうしたダビデの出陣から帰還までの連続場面が戦いと勝利を中心とした左右対称の安定した構図に再構成されたと考えることが出来るだろう(注10)。これらの比較から想定できる図像サイクルは,Iダビデの帰還Jにおいて,333とは異なっている。〈スーヴイニーの聖書〉にみられる「サウル王の前にゴリアテの首を差し出すJ場面は,17章57節から58節に基づくもので,一方,333では,Iゴリアテの斬首」と「ベリシテ軍の追撃J(1王:17, 52)のあとに,Iダピデの帰還Jとして,18 したゴリアテの首を掲げて,その様子を見ている。この場面は,自分よりもダビデを讃える女たちの歌を聞き,サウル王がダピデに対して強いねたみの心を持つ場面であり,ダピデがゴリアテの首を差し出す場面とは内容上も大きく異なっている(注11)。このようにSBは,決闘場面のポーズに関しては銀皿や〈パリ詩篇〉と類似するものの,「ダピデとゴリアテの戦い」を連続したエピソードとして捉えた場合,西方世界の作例により類似した表現を見出すことができる。最後に,この左右対称の構図がSBの画家独自の発明であったのかという問いが残るが,この間いを解く手がかりもまた,ロマネスク写本に見いだされる。12世紀後半の〈ウインチェスターの聖書)(ニューヨーク,ピエモント・モルガン図書館所蔵,MS619裏面,以下WBとする)C図6JにはSBと非常によく似た構図が見られる。ここでは,画面をはみ出し,挿絵の縁取りまで達する巨人ゴリアテを中心として,SBと同様に左には投石器を振り上げるダピデ,右には切り取ったゴリアテの首を持つダピデが配されている。さらに,戦いを見守るサウル王と戦場から逃げるべリシテ兵士たちが画面の両側に配されている点もSBと共通している。SBは875年の降誕祭にローマでカール禿頭王がローマ教皇からローマ皇帝として戴冠した際に教皇から贈られたと考章6節のダピデを讃えて踊る女たちの様子があらわされ〔図5J,ダピデは槍に突き刺558
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