細部がある。それは,捧げ物の3頭の雄牛である。この3頭の雄牛は,体を重ね合わせるように側面向きに描かれ,後ろの2頭の体は,輪郭を前面の雄牛の輪郭を上部にずらすように積み重ねることによって表現されている。「サムエルの奉献」のテキストを調べると,ハンナの嘩げ物である3頭の雄牛は,紀によるヘブライ語からの翻訳であるウルガータ版の記述にのみ見られる。一方,いわゆる死海文書といわれるへブライ語ユダヤ教写本であるクムラン写本やギリシャ語翻訳の70人訳聖書では,この捧げ物の獣は,11頭の3歳の雄牛」と記載されている(注12)。雄牛に関するこのようなテキストの相違は,SBの図像学的研究においてこれまで指摘されることはなかったが,その図像サイクルの起源を考える上で非常に重要な意味をもっている。なぜなら,ロマネスク写本との比較から,この3頭の雄牛を含むサムエル奉献の場面は,SBの手本の図像サイクルにすでに含まれていたと考えられるからである。このことは,SBとロマネスク写本に共通する「王の書」図像サイクルが,従来から指摘されてきたように70人訳聖書の流通するギリシャ語文化圏で誕生したのではなく,ユダヤ教世界もしくはウルガータ版が流通したラテン世界で形成された図像であるか,少なくともこれらの世界を経由してSBに至ったことを意味する。本研究調査の結果,次のような結論に至った。まず,SBの「ダピデとゴリアテの闘い」は,物語の時間的な経過に沿って連続的にあらわされた複数場面をー画面内に描いたものと考えられる。さらに,ゴリアテを中心とする左右対称の構図は,SBの画家独自の発明ではなく,手本の段階ですでに完成されていたと推察でき,WBはこの同じ図像を引き継いだものと見なすことができる。紙面の都合上,本稿では詳しく述べることが出来なかったが,第一書,第三書の他の場面においてもSBとWBには共通点が多く見いだせた。このことから,両写本は,共通の『王の書』図像サイクルに遡ると推定できる。さらに13頭の雄牛」に関するテキスト分析から,この図像サイクルが70人訳聖書の流通するギリシャ語文化圏で、はなく,ユダヤ教世界もしくはラテン世界において派生したものであるという結論に至った。サイクル全体を見渡した場合,333との類似は否定しがたいものであり,こうした元2世紀頃に成立したとされるユダヤ教聖典のマソラ版と紀元3世紀のヒエロニムス4.結び、
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