B.名所/風景『大阪府管内地誌暑j(明治10),r大日本道中記j(明治11),r明治新用文大成j(明治14),r大阪名所濁案内j(明治15)が代表的なものである。「筆を載せて諸国を歴遊し」という琴石略伝を努需させる,全編街道絵図からなる自著『大日本道中記』を別にすれば,すべて他人の著に附した名所挿画であるが,細やかな刻線と腐蝕の調節によって精搬な写実と深い詰調表現を果たしたものが多い。[大日本道中記』が,街道筋の主な見どころや目印ともいつべきランドマークを一々僻蹴描写しながら,絵巻物風に併置する観念的構成を示すのに対し〔図7],同じ書の要所に配された名所図や他の書の挿画は固定視点の景観画となっていて,大半は写真を下敷きにしていると見られる。しかし,ピントや被写界深度,明暗対比の甘い当時の写真より,はるかにシャープで明暗に富む風景描写である。その落差を埋めたのは,琴石の優れた銅版製版術と,実景の観察もしくは写生の積み重ね,そしてなにより粗密の逗庭に造形を加える想像力であったといってよい。その意味で,r大阪府管内地誌署Jと『大阪名所濁案内』の挿画が際だ、っており,琴石の銅版画中出色のものであろう。前者の〈高麗橋之園>[図1]{住吉浦之園>[図2J, 100枚以上挿入された後者の挿画のうち〈南御堂之園}{茶臼山之圃>[図8J {心粛橋之園>[図9J {道頓堀劇場之園>[図lOJ(法善寺内之寓園〉〔図11Jなどは,明治前半期銅版画中の白眉といっても差し支えない。これらは寸法がきわめて小さく(注15),とくに後者は本文中挿画ということでこれまであまり注目されなかったが,慶岸堂一派による『輿地誌略』や『米欧回覧賓記』と並ぶ明治銅版画の最高の成果である。そして,I欄熟した明治の銅版の行き着く先をまざまさ、と見る思いがするJI江漢から初まった銅版の集大成,終着点の姿を示しているjと評される(注16)r内園旅行日本名所圃槍j(明治21-23)を数年先取りするものであり,都市の表情や空気を細い刻線で香り立たせ,永遠の静誼性を賦与するといった銅版画本来の魅力を余すところなく伝える珠玉の作品群であろう。これらに比べると,従来琴石銅版画の代表作とされてきた『明治新用文大成』の挿画はやや大味の感を否めない。たしかに〈神戸布引瀧之園)[図12Jや〈摂津箕面山之園〉などの山水表現は,それまでの峻法を打ち破る斬新さを秘めているが,こういう素材に対しては,南画家琴石と銅版画師響泉堂が表現においてせめぎ合っていたのではないか。ちなみに明治15年(1882)に刊行された『商工案内浪華の魁j(垣貫一右衛門編,若林長英所錆の銅版本)の「有名諸大家」の項では,I南画」の欄に森琴石との-48-
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