鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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⑮ 実験工房一一ユートピアとしての前衛一一研究者:コロンビア大学美術史・考古学部博士後期課程手塚美和子くはじめに〉実験工房は特定のグループ形態や作品形式という枠を否定した。14人のメンバーで構成されたこのインターメディアな運動体は,1951年11月から1958年頃まで続き,その活動は展覧会,音楽演奏会,バレエなどを含む18回にのぼる(注1)。当時の美術界では特異なものであったにもかかわらず,1実験工房という集団の存在は,よく知られているとも言える反面,グタイの知名度とは比べるべくもない」という(注2)。峯村敏明はこれに二つの相関する原因を指摘した。第一点は,海外からの評価がなく,圏内での考察の姐上にのせられないこと。事実,本格的な再考の試みは,1991年佐谷画廊での「実験工房と瀧口修造j展や,1996年の目黒区美術館での11953年ライトアップj展がある程度である。その他,関係作家を含む展覧会として1998年「草月とその時代1945-1970Jや2000年「万歳七唱一一岡本太郎の鬼子たちjがある。どれも実験工房の再発見を促しながらも,戦後日本美術の自立性を求める傾向のなか,戦前の前衛運動との比較に関して踏み込んだ検証はない。第二点としては,実験工房が日本独自の文脈を感じさせないということ。これは「独自性jの解釈によって判断は変化する。美術史的視点と文化論的方法の双方を活用するならば,現在想定されうる近・現代美術史の流れの中で,彼らの活動の実態を検証することが,海外からの評価に依存しているともいえる日本現代美術史という歴史観自体を問う契機となると思われる。この小論では,鹿島美術財団の助成を受けて行われたリサーチの結果から,実験工房に関するインタビューや資料に焦点をあて,その活動の一部を戦後再構成された美術の文脈,さらに戦前日本にすでに伝えられていたユートピアニズムとしての前衛との関係を考慮しつつ探り,これを研究報告としたい。〈日本現代美術史という位相から見た独自性〉象徴的に華街にイデオロギーを否定する弱気な人,不消化でなまのままの概念をプラカードのように持ち歩く軽薄な人。何れも時代からも,人間的にも浮いた存在だと思いますが,存外私達の周囲に多いのではないでしょうか〔注3い一568-

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