鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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み,i銅版師」の欄に響泉堂とのみ記し,まるで、別人のような扱いになっている。何にせよ,この書の挿画の特徴は作風の幅が広いことである。たとえば〈北海道之園>(図もなければ,先祖還りのような表現になったことを如実に示している。反面,ほぼすべての作の空の描写には腐心した跡が窺え,こうしたドラマティックな大気の表現は『輿地誌略Jに通じ,優れた明治銅版画の著しい特色である。このような名所/風景銅版画の到達点は,r有馬温泉炭酸水改良建築井市街罵員給園J(明治16)と『月瀬勝景異国j(明治20)である。前者は琴石の郷里有馬温泉の浴場(本湯)が洋館に改められた記念の刷物で,上部に改良建築の立面図と地図を配し,下部は幅約50cmにも及ぶ「有馬市街之園J(図14)である。山間に宿坊や民家が身を寄せ合う有馬の全容をパノラマ風に捉えながら,屋根瓦一枚一枚まで描出する細密描写を全面に展開している。複数の写真をもとに制作したと思われるが,それを大きなパノラマ景観に構成する綜合力と,逆に細部を喚起し彫錆してゆく分析力とを併せ持ち,結果大正期日本画の細密描写(御舟,青樹ら)を予見させるような近代性を見せるのである。一方後者は,文人墨客の来訪絶えなかった月ヶ瀬渓谷を一望する名所真景である。同様の図は江戸期からいくつか刊行されたと思われ(注17),視点の取り方や術蹴構図もそれらを継承しているが,南画の峻法を基本にしつつも,銅版の刻線を繰り返し重畳させて巨岩を描出し,陰影までも感じさせるのは銅版の力であろう〔図15)。つぎに触れる「南画の銅版画化jの極致である。南画家としての琴石にとっては本筋の仕事だ、ったといえよう。『南董濁拳揮牽自在J『墨客必要董題自在jr墨場必携題童詩集j(明治13),r新編墨場必携j(明治14)などがある。山水,人物,四君子などの花井草木等々,自らの南画の筆技を肥痩自在な銅版刻線に移した作が多い〔図16)。この自在さは琴石銅版画の一方の魅力である。加えて『墨客必要重題自在』には,濃淡のある墨の塗りをアクワチントらしき技法で表現するものがあり,この技をどのように修得したか謎であるが,銅版画家琴石の技術の高さを示している〔図17)。これらの書は概ね小さなものが多く,r墨場必携題董詩集jなどはわずかに縦8.4cm横5.8cmの豆本といってもよく,真行隷蒙に書き分けた外題を附す各巻を映に収めて,書物デザインとしても珠玉の美しさを見せる。なお,同時期の琴石には『里香童譜jr新撰書家自在j(明治13)などの美しい木版画手本もある。13)は江漢の時代と見紛うプリミテイヴな表現を留めており,実見もせず適切な原図C.南画/画手本49

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