鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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越える可能性を探求した点で,実験工房,瀧口,そしてモホイ=ナジの姿勢は一致する(注20)。工房の発表会の多くは舞台形式をとることになるが,ではそれらはパウハウスのf莫倣としてのみあったのだろうか。である。舞台装置,衣装,音楽から台本まで一切を実験工房が担当し,装置は北代と山口,衣装を福島,バレエ台本は秋山が制作し,オーケストラ音楽を武満と鈴木が作曲。特殊効果音として鈴木と山口が,声とメトロノームで構成した音をテープ・レコーダーに録音して使用するというミュージック・コンクレート的な試みも取り入れられた。今井直次の照明は,灰色のモノトーンで統ーされた舞台装置に光で色と陰影をつけ,大きな反響を得た(注21)。戦後日本初のピカソ展前夜祭企画のこのバレエは,静的なピカソ作品展示のみとせずに,観客の視聴覚に訴える形で「ピカソを現代の中に位置付けよう」とするものであった。成功の理由は,ピカソが近代美術の巨匠という認識があったのみでなく,戦争へのレジスタンスの象徴として意識されたからでもあるだろう(注22)01950年朝鮮戦争勃発問もない時期に,この様な象徴性をもったピカソによる生命礼賛の大作をモチーフにしたことは,実験工房の社会的方向性を示唆する。同時に,舞台という大衆性のある発表形式をとったことで,共同制作による芸術の総合を実現させたのだが,それが結果として,明治以降の美術を既定している制度の批判となった。このバレエの下地には,瀧口によって紹介されていたピカソの詩があるが,その詩の特徴は句読点無しの散文詩で,I意識の流れjという構成をとっている。シュールレアリストの自動筆記のようであるが,単語のイメージは「オブジェ(物)に直哉的に対応」しており,文学的要素を帯びない。しかも「最初タイプライターで、打った詩に,日付によって異なった色のインクで言葉と言葉の聞に随所に書き足していくJので永続的である。キューピズムの詩の極端な視覚化とも違い,ピカソの詩はシュールレアリスムとキューピズムの詩の中間に位置し,音楽のように「調子にたたみかけるようなリズムJで,聴覚と視覚の聞を行き来する(注23)。その詩はもともと視覚と聴覚に同時に訴えかける舞台のような空間を内在していた。バレエ「生きる悦び」は,この様なピカソの詩と絵画のイメージを,三次元の舞台上に転用した。山口の証言を照合すると,最も印象的な部分はダンサーが舞台上から消え,舞台装置のモビールとスタピルに多彩な光が照射される中,テープ・レコーダー第l回発表会は,1951年11月16日に日比谷公会堂で上演されたバレエ「生きる悦ぴ」572

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