注(1 ) 佐谷和彦「瀧口修造と実験工房のしごとJr国文学.1(1999年8月号),106-107頁から詩とメトロノームの音が流れるという,ナラテイブ要素の媒体となるダンサーの身体が完全に除かれた部分であった。観客はここで,ナラティブを与えられるという受動的存在から,現象を生理的に感知する能動的存在へと変貌する。パウハウスのトータル・シアターの概念における「メカニカル・バレー」は,運動の純粋化のために人体を機械と置換したが,実験工房は極端な機械化を避けながらも,自然模倣的な劇場空間ではなく,観客が「生理心理学的にj同化するための抽象空間を創造した(注24)。これは以後の脱領域的活動へのマニフェストとしてふさわしいものであったといえる。〈終わりに一一ユートビアとしての前衛の行方〉偶然によってではなく,綿密な思考のうえでの新しい視聴覚の創造をはかるという点で,実験工房が求めていたものは一回性のハプニングのようなものではなく,ケージの音楽,もしくはフルクサスによるイベントに近いように思われる。そこには情念的におちいりやすい日本の美術の傾向を,常に警戒していた瀧口の存在が感じ取れる。戦前からのユートピア思想を実験工房の活動へと繋いだこの存在を,湯浅譲二は「メタ言語的な指導者」と呼ぶ(注25)。反芸術の動きが逆に現代美術という枠を形成する方向に向かいはじめ,瀧口が「批評の形式を瓦解させるような危機意識」を感じる1957年頃に,実験工房の活動が解消しているのは何を象徴するのか(注26)。また,元メンバー達がその後草月アート・センターでの活動やフルクサスのアーテイストらとの交流において求めたものは何なのか。今後の研究の課題としたい。参照。実験工房のメンバーは以下のとおり。造形:大辻清司(1923-2001)・北代省三(1921-2001)・駒井哲郎(1920-1976)・福島秀子(1927-1997)・山口勝弘(1928生)音楽:佐藤慶次郎(1927生)・鈴木博義(1931生)・園田高弘(1928生)・武満徹詩・音楽評論:秋山邦晴(1929-1996)照明:今井直次(1928生)(1930-1996)・福島和夫(1930生)・湯浅譲二(1927生)-573-
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