鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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JOO 円様式を示している。シトーのくSp巴culum>今回の調査から,もうlつの例をあげる。ベルギー王立図書館が所蔵する,シトー修道院のくSpeculum>である(BR17970)。これは,14世紀の写本で,装飾イニシャルも,肌色と青の地に金で組紐・怪物丈が描かれ,まったく異なる。ところが,f.48v いま,シトーの例はおくとしてボンヌ・エスベランスとオーヌの例は,いずれも,カンブロンと同様の文様装飾の様式を持つことからたがいに密接な関連があると思われる。今回の調査で判ったかぎりでは,その例は,いずれもの写本である。VII.学問の中心としてのカンブロン修道院この文様装飾の様式がみられる13世紀末,カンブロン修道院では,学聞が奨励されていたことが知られている。とくに,1288年から1293年の修道院長,ブードワン・ド・ブッシューBoudoinde Boussuは,カンブロンのー修道士であった若き日に才能を認められてパリ大学に送られ,かの地でトマス・アクイナスに学び神学博士を授与された学者であり,当時の学問の最先端にいた人物であった。パリ大学で教鞭をとったのち,カンブロンに帰って修道院長を勤めた。カンブロン修道院は,ブッシュー修道院長による,ピエール・ド・ロンパールPi巴rrede Lombardの“Livresdes Sentences" の註解書4巻を大切に保管していたという。カンブロンからは,多くの修道士が,同校,また,他の大学にしばしば赴き,学んだ(注15)。この時期,この修道院で書物の需要が高まったことが推察される。ヴァンサン・ド・ボーヴェの『スベクルムJは新しい学問を代表する著作であった。ヴァンサン自身,ドミニコ会の修道士であるが,同書の成立にはシトー会との関係が指摘されている(注16)。カンブロン修道院は,当時の最先端の学問をあらわす書物を所蔵していたことになる。『スペクルム』の現存する写本の数は決して多くなく,ミネソタ・カンブロン本は極めて初期のlつである(注17)。カンブロン以前に,物語場面のある写本はあったが,その後も,場面による図像の定型は確定しなかったとされている(注18)。今回の調査によって『スベクルム』の図像伝統に文様装飾のグループが加えられることになる。のUのみ,カンブロン・タイプのペン装飾で描かれている〔図17J(注14)。
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