鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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⑩ 鳥羽安楽寿院関係中世文書の復原的検討延3年(1137),その鳥羽の一郭に鳥羽上皇によって創建された安楽寿院は,阿弥陀堂,1 ,安楽寿院関係の中世文書等事(ア),上三栖芹河真幡木庄支証案(イ)真幡木庄正和二年実検田畠目録注進状研究者:京都大学大学院工学研究科助教授古代学協会古代学研究所助教授鳥羽殿は応徳3年(1086)から白河上皇の手によって平安京南郊の鳥羽の地に離宮・後院として建設された。その後,白河・鳥羽上皇によって御所・寺院が次々と造営されて,上皇の遊興・宗教・家政管理などの様々な機能を担う重要な施設となった。保2基の塔などを擁する寺で,特に本御塔は鳥羽上皇の墓所,新御塔は子の近衛天皇の遺骨を杷る墓所となったことで著名である。鳥羽上皇は膨大な荘園を安楽寿院に寄せ,それらは後々,皇室領荘園の一つの中心をなすものとなった。このように安楽寿院は院政期における上皇の活動の拠点であったが,院政期以後も皇室領荘園経営の中核として機能しており,その双方の性格は中世後期以降,衰微した安楽寿院においても継承されてきた。安楽寿院に関する本研究の多面的な目的の重要な柱として,安楽寿院関係文書の調査とその考察があるが,これは上記安楽寿院の性格の歴史的展開過程の理解に欠かすことができない。ここでは安楽寿院関係の中世文書について概観した上で,若干の復原的検討を試みたい。現在,院政期の安楽寿院の寺籍を継承している新義真言宗安楽寿院には,古文書・古記録が7箱分所蔵されており,その大半は近世文書である。この中に〔表1]の13通の中世文書(注1)が含まれている。一方,寺外では,東京大学史料編纂所所蔵安楽寿院文書に,安楽寿院寺中日記寺領案(ウ)の3点の文書類棄が所蔵されている。これは安楽寿院領の領家高倉家に伝来したもので,昭和56年に史料編纂所が購入した。文化15年刊の「宝池壮観」には鳥羽離宮関連文書が建物ごとに類別して収録されている。『京都府史蹟勝地調査会報告第六冊j(注2)には主要な安楽寿院関係文書が翻刻京都府立大学文学部助教授山岸常人上島堀内明博享590

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