~60l~ ⑩ 誰がゴシックを必要とするのか?52年)であり〔図1),ドイツにおけるそれはプロイセン主導による統一国家建設のシ一一酉ヨ一口ッパ美術史におけるゴシック・リウプイヴプル一一研究者:埼玉大学教養学部非常勤講師松下ゅう子近年,ゴシック・リヴァイヴァルの見直しが盛んに行われ,ゴシック・リヴァイヴアルのリヴァイヴァルという言葉すら散見される。しかし西欧近代におけるこの広範な文化現象を歴史的に位置づける視点はいまだ陵味なままに残されている。その理由のひとつは,ヨーロッパの人々にとってはこの現象が今なお遠い過去の出来事ではないからであろう。19世紀以降のゴシック受容はしばしば政治や宗教の問題と密接に関わっていた。たとえば,ゴシックは各国のナショナリズム高揚の道具として使われてきた。イギリスにおけるゴシック復興の代表的建築はほかならぬ国会議事堂(1836-ンボルとして工事が再開されたケルン大聖堂(1840-1880年)[図2,3)であった。ゴシックは市民革命以前の君主制賛美にも利用されたし〔図4),近代の個人主義に対する反旗としてのカトリシズム回帰の風潮にも深く関わっていた。言うまでもなく,このようなナショナリズムと復古主義に関わる問題の多くは21世紀の現在でも解決されるに至っていない。ゴシック問題の根はさらに探く遡ることが出来る。ルネサンス以来ゴシックは,古代ギリシアに発する古典文化とは異なる流れ,すなわちそれへの対抗文化とみなされてきた(注1)。ゴシック・リヴァイヴァルの動向がアルプス以北の地域の文化的アイデンテイテイの諸問題と深く結びついていたことは,今日では周知の事実になりつつある(注2)。不幸なことにゴシックは,16世紀のヴァザーリのようにそれを否定するにせよ(注3) ,近代のドイツのようにそれを肯定するにせよ(注4),他者を庇めて自らの所属集団を正当化する手段として利用されてしまった。となれば,もっとも利口な態度はそうした危険なイデオロギー性を帯びた「ゴシックJ(とくにその復興運動)には触れずにそっとしておくことかもしれない。20世紀後半の美術史家たちの大多数が取ってきた態度はこれである。ヨーロッパの美術史学にとってゴシック受容史研究の困難はそれがあまりに身近であることだとすれば,われわれにとっての困難はゴシックが遠すぎることにあるかも
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