しれない。ドイツ語のGotikについて言えば,ドイツ美術史学においてこの用語が負わされてきたイデオロギー的意味を,われわれはどの程度実感できるだろうか。20世紀のドイツ美術史学がGotikに対して取った態度は,かつてのヴァザーリの否定的態度をちょうとミコインの表と裏のょっに反転させたものであった。W.ヴォーリンガーは「ゴシック美術形式論.1(1911年初版)の結びにあたって,Gotikは「時代を超越したゲルマン人種の現象」であるとし,古典派でさえ北方においては衣装をまとったGotikにすぎない可能性さえあると指摘して筆を置いている(注5)0 K.ゲルステンベルクは1913年の学位論文において,Hall巴nkirch巴がドイツにおける特殊なゴシック様式すなわちSonderGotikであるとして,フランスがゴシックを先導したとはいえドイツには特殊なゴシック形式があったと主張した(注6)0H.シュミッツは『ドイツの芸術と精神生活におけるGotik.l(1921年)の冒頭で,この本の目的は「わが民族(Volk)の芸術および精神生活におけるGotikの地位を正当に評価することであるJと宣言しているのだが,その本文の書き出しはこうであるolD巴utscheGotik !この言葉を聞くとわれわれの精神の眼の前になんと豊かなイメージが壮麗に繰り広げられることかJ(注成果.1(1944年)の中でドイツの中世建築についてこう書いている。「シュタウフェン朝のドイツ芸術とフランスのゴシックは時を同じくしており,対等では同じではないものの一共通の基盤を持っているのだが,それでもそれぞれに異なっているJ(注8)。隣国に比べてドイツ芸術がいかに優れているかをあれこれ述べたこの本の最後の結論はこうなる。「とどのつまり,ドイツ美術の全体が比類なく特別な成果なのだJ(注9)。日本ではゾンダー・ゴーテイクという用語やW.ヴォーリンガーの著書が抵抗無く受け入れられているが,ドイツのこうしたGotik礼賛に積極的に同意する美術史家は少ない(注10)。パノフスキーはヴァザーリとゴシックの関係を論じた「ジョルジョ・ヴァザーリの『リブロ』の第一ページJ(1930年)をこう結んでいる。「今日,ことに英国とゲルマン系諸国において,真正の「ゴシック復興」を見るのであるーしかしながら,この復活は,ルネサンスの人たちがやったように,確信に満ちた希望の精神によってではなく,浪漫的憧慢の精神で過去のものを取り戻そうとした復活であるJ(注11)。慎重な言い回しだが,同時代のドイツ語圏でのゴシック賛美とは一線を画す態度である。パノフ7 )。さらに第二次大戦末期の1944年になると,W.ピンダーは『ドイツ芸術の特別な数において602-
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